数年前、ある出版社にお世話になっていたおり、二人のシリア人の青年と出会い、何度か親しく話をする機会もあった。彼等は日本語学校で学びながらアルバイトをし、大学院への受験準備をしていた。二人とも首都のダマスカス出身である。すでに母国の大学は卒業している。
一人は日本の大学院で教育学を学び、帰国後は教職に就きたいと言った。先ず神戸大学に願書を出すつもりだと言う。私が「神戸は山口組などのヤクザ者が多い。いいことを教えてやる。トイレットペーパーの空芯をいくつも腹に巻き付け、その上から上着を着込んでおき、もし因縁をつけられて取り囲まれたらパッと上着を広げ、『アッラーアクバル(神は偉大なり)!』と叫べ。ヤクザたちは逃げ出すだろう」と…。彼は苦笑した。
教育学で有名な大学はどこかと問われた私は「宮城教育大学はどうか、第二代学長は林竹二先生といって、尊敬されていた」と余計なことを伝えた。その後彼は宮教大の資料を取り寄せていて、「グッド」と微笑んだ。
もう一人の青年は大学院で経済学や金融を学び、将来は金融グローバル企業もしくは経済官僚の道へ進みたいと言った。父親も官僚らしかった。彼の第一志望は一橋大学だった。二人とも恵まれた家庭環境の育ちを偲ばせ、物静かで紳士的で温良だった。
ジャスミン革命がチュニジアからエジプト、リビアへ、さらにアラブ諸国へ拡がり、アラブの春と呼ばれて、政変、混乱、内乱が拡がっていった。どこが春か、アラブの猛烈な砂嵐ではないか。彼等に「シリアはアサド大統領の世襲・長期独裁政権だから、次に飛び火するかも知れないね」と言うと、毎日毎晩、父親や家族、友人たちとSkypeで話をしているが、シリアは大丈夫、静穏だと聞いており、安心していると言った。また彼等は自国を独裁国家とも非民主的国家だとも思っていないのだった。
しかしそれからほどなく、彼等は大学院の受験も諦めて、蒼惶と帰国していった。今どうしているだろうか、無事だろうか、故国を離れ、難民として欧州へ、過酷な旅に出たのであろうか。
ISのテロが世界に散って、マリでも起こったがほとんどニュースにならなかった。それからすぐにパリで起こり、そのニュースが世界を駆け巡った。フランスが、ロシアが、そしてイギリスがシリアの空爆を始めた。
私はターハル・ベン・ジェルーンが今何を想い、何を語っているのかを知りたく思った。彼はあの「娘に語る人種差別」(青土社)の著者である。そして既に27、8歳になったであろう娘のメリエムが想っていることも聞いてみたいと思った。
ターハル・ベン・ジェルーンの名を最初に見たのは、紀伊國屋書店が刊行した「砂のこども」であった。18、9年も前のことである。ほどなく「聖なる夜」も刊行された。
彼はモロッコに生まれ、哲学を学んで哲学教師となった。その後パリに留学し、社会学と精神分析学を学び、フランス語で小説や劇作を試み、高い評価を受けた。「ル・モンド」にアラブやマグレブ問題等の寄稿も続け、ジャーナリストとしても、論客としても知られるようになり、小説「聖なる夜」でモロッコ人として初めてゴンクール賞を受賞した。「砂の子ども」と「聖なる夜」は、世界30カ国で翻訳出版されたそうである。
「砂の子ども」は「聖なる夜」の前編にあたる。モロッコの旧市街、謎めいて細く曲りくねり、複雑に分かれた迷路のような小径。ふと雑踏の広場に出る。一人の語り部(講釈師)が彼の周りを囲んだ人々に物語り始める。一人の男の子の誕生から物語は始まり、謎めいた幻想譚となっていく。話が佳境に到る前に語り部は錯乱して消え、不思議な物語は不完全なままで取り残された。やがて周囲にいた人々が次々に物語を繋いで語り始める。
その男の子は実は女性であった。肉体を偽って育てられる精神的傷、社会的な抑圧と虚偽、欺瞞…主人公は誰なのだろうか? 男の子? 次々と語り継ぐ民衆? 哲学的、文化人類学的、社会学的、精神分析学的で、錯綜した知的な冒険譚が「砂の子ども」である。
…放浪の後、一人の女性が町に戻ってきた。彼女は「砂のこども」の男の子である。ラマダンの高揚感が最高潮に達する夜、主人公は生まれ変わった…これが「聖なる夜」の物語である。…
ターハル・ベン・ジェルーンはアラブ人であり、モロッコの風土に育ったモスリムである。現代的な人文科学と精神医学を修め、フランスのパリに暮らす優れた知性である。文化の相克の中に身を置き、不当な人種的な差別や空気を感じながら、対立や自由を奪われた同胞や支配、暴力を見聞きし、重圧と孤独の中で対話と融和を語ってきたのである。
17、8年前に書店の思想・哲学書コーナーで「娘に語る人種差別」という本を見つけた。読んでみると素晴らしい名著である。
この本を世界中の大人たちが読み、小学生の副教本として世界中の子どもたちに読ませたいと思うのだ。へんな愛国心教育より、これから世界の人々とこの地球で一緒に暮らす上で、よほど役立つ大事な教育だろうと思うのだ。
ベン・ジュルーンの当時10歳になる娘メリエムから「ねえパパ、『人種差別(ラシズム)』って何?」と訊ねられたことから、父親として彼女に易しく答えていく。彼は娘との対話の本を書き始める。娘にそれを読み聞かせ、さらに質問を受け、書き直す。娘の友人たちにも読み聞かせ、彼等からもいろいろ訊ねられ、計十五回も書き直したそうである。
ねえパパ、人種差別って何?
私たちとは違う身体や文化の特徴をもっている人たちを、警戒したり、軽蔑したりさえすることだ。
私も人種差別主義者かも知れない!
…子どもの自然な性質は人種差別的じゃない。子どもは人種差別主義者として生まれるわけじゃないんだ。両親や近くにいる人が子どもの頭に人種差別思想を植えつけなかったら、その子が人種差別主義者になる理由はない。
私も人種差別主義者になるかもしれないと思う?
そうなる可能性はある。すべてはこれからメリエムが受ける教育によるんだ。そのことは知っておいた方がいいし、そうなることを避けた方がいい。…どんな子どもも大人も、ある日、何もしてないのに自分とは違う人に対して、拒絶する感情を持ったり行動をとったりする可能性があるという考えを認めておいた方がいい。
人種差別主義者は、自分とは違う言葉や料理や色が好きじゃないの?
いや…人種差別主義者というのは、自分とあまりにも異なるものはすべて、自分の静けさを脅かすと考える人のことなんだ。
脅かされていると感じるのは人種差別主義者の方なの?
そう、それは自分に似ていない人が恐いからだ。人種差別主義者は、劣等感か優越感のコンプレックスで苦労しているんだ。
パパ、もし人種差別主義者が怖がっている人だとすると、外国人を嫌う政党の党首は、いつも外国人を怖がっているはずでしょ。でも、あの人がTVに出るたびに、恐いのは私の方よ。ジャーナリストを怒鳴りつけたり、脅したり、机を叩いたりするわ。
そう、でも…その党首は、攻撃的な性格で知られた政治家だ。彼の人種差別は、暴力的な仕方で示されるんだ。彼は、よく知らない人たちを怖がらせるために、まちがった主張を伝えている。彼は、人々の恐怖感、ときには現実的な恐怖感をうまく利用する。例えば、移民は、フランス人の仕事を奪ったり、生活保護を受けたり、病院で無料の治療を受けたりするためにフランスに来るんだと言っている。これは本当のことじゃない。移民たちは、多くの場合フランス人たちがやろうとしない仕事をしている。彼等は税金を払い、社会保険を払っているから、病気になったときは治療を受ける権利がある。もし明日、不幸にもフランスの移民が全員退去させられたとすると、この国の経済は崩壊するだろう。
人種差別主義者はわけもなく怖がっているのね。
人種差別主義者は、外国人つまりよく知らない人を、とくにこの人が自分より貧しいときに、怖がるんだ。…アメリカの億万長者よりアフリカの労働者を警戒するだろう。…アラブの首長が、コート・ダジュールに休暇を過ごしにやってきたら、もろ手をあげて歓迎される。…歓迎されるのは、アラブ人ではなく、お金を使いにやってくるお金持ちだからだ。
文化が教育を意味するとしても、勉強したことから人種差別が生まれるかもしれないでしょ…。
生まれつき人種差別という人はなく、後から人種差別主義者になるんだ。よい教育と悪い教育がある。学校にせよ家庭にせよ、すべては教える人によるんだよ。…パパが怖がると言うとき、がたがた震えることだと思ってはいけないよ。逆に、恐怖心のせいで攻撃的になるんだ。脅かされていると感じて、攻撃する。人種差別主義者は攻撃的なんだ。
じゃあ、戦争が起こるのは人種差別主義者のせいなの?
いくつかの戦争は、そうだ。根本には、他人の財産を奪おうとする意志がある。人種差別や宗教が、人々に憎しみを抱かせるために、知り合ってさえいないのに互いに嫌悪させるために使われるんだ。外国人への恐怖、私の家や仕事や妻を盗るんじゃないかという恐怖がある。無知がこの恐怖を大きくする。私はこの外国人が誰か知らないし、彼の方も私が誰か知らないというわけだ。隣の家の人たちをごらん。彼らは、クスクスを食べに来るよう招待するまで、ながいあいだ私たちを警戒していた。あのとき彼らは、私たちが彼らと同じように生活していることがわかったんだ。私たちが別の国、モロッコ出身であるために、彼らの目にはずっと危険だと映ってきた。招待することで、彼らの警戒を解くことができたんだね。話し合って、少し知り合った。いっしょに笑った。
だったら、人種差別と闘うために、招待し合わなくちゃ!
いい考えだね。知り合うこと、話し合うこと、いっしょに笑うことを学ぶことだ。でも楽しみだけでなく、苦しみも共有しようとすること、私たちが多くの場合同じ関心、同じ問題をもっているということを示すこと、それによって人種差別を弱めることができるんだ。 …
人種差別主義者の科学的証明ってどんなの? 「社会的・文化的差異」って何? 「遺伝学」って何? 私たちは、遺伝よりも教育のせいで違っているの? 宗教は人種差別主義って言うこと? みんなが人種差別主義者でなくなるようにするにはどうしたらいいの? 「拒否」や「拒絶」って何?
どうやって闘うの? 「身代わりの山羊」って何? 「自己欺瞞」って?
「絶滅」って何? きっと恐ろしいことね! 人種差別主義者って馬鹿だわ…
本当は「娘に語る人種差別」のほとんどを引用、あるいは全文書き写したいくらいである。ターハル・ベン・ジェルーンは、父親として、10歳の娘と同じ視点に立って語り、彼女と対話を重ねていく。
現実の学校や町中での空気、差別、嫌悪、大人たちの憎悪、対立、テロ、歴史認識、宗教、文化や言語の差異…。ひとつひとつ丁寧に判り易く…。
この本がフランスで上梓されたのが1998年。全仏ベストセラー40週連続だったそうである。いま、ベン・ジェルーンは、娘のメリエムは、何を想い、何を語ることだろう。