大橋巨泉さんは競馬が好きで、中央競馬(JRA)に何頭かの馬を所有する馬主だった。
何冊かの競馬の本も書かれ、中央競馬会には耳の痛い、競馬界のリベラルな改革を直言していた。耳が痛かろうと思われるのは、まさに正論だったからである。今は当たり前になってしまったことも、当時の抵抗は強く、その壁は厚く高かったのである。巨泉さんの提言は20年、30年後に徐々に実現していった。しかし巨泉さんは、その頃すでに競馬を止めていた。
当時の提言の一つは外厩制度の導入であったが、これはなかなか実現しなかった。外厩制度の導入はオーナーブリーダーであったシンボリ牧場の和田共弘氏や社台の吉田善哉氏も主張していた。それが実現したのは20数年も経ってからである。
また巨泉さんは当時の調教師たちをかなり強い口調で批判していた。調教師たちが、調教助手や赤帽(見習い騎手)たちに「15ー15で回ってこい」と指示を出すと天狗山(調教師スタンド)に陣取って昨夜のキャバレーの話に興じている、あんな人たちは調教師失格だと苦言を呈した。
また、馬名に関して「冠馬名」に疑問を呈していた。つまりシャダイ◯◯、シンボリ◯◯、メジロ◯◯…。最近の好例ではキタサン(北島三郎さんの冠馬名)…、サトノ…。
欧米の競走馬の馬名は、その名を聞いただけでその血統がわかり、またその馬名に血統や物語、ユーモアあふれる洒落が込められている。日本の競走馬の馬名もそうなってほしいというのである。大賛成である。
巨泉さんの馬にヌレギヌと名付けられた馬がいたが、中央競馬会はそれを許可しなかった。巨泉さんは何故ヌレギヌと命名したか、その理由を何日もかけて説明したという。まさに欧米風の命名術の実践で、しっとりと濡れた薄いビロードのような肌、そして確かリマンド牝馬だったと記憶するが、リマンド(remand)とは法律・裁判用語で「再取り調べのため再拘留する、下級裁判所に差戻す、再審理する」ことであり、その母系や血統からもこれこれの洒落で名付けたと説明したという。
見事だ、あらぬ言いがかり、あらぬ濡れ衣を晴らしてくれ。競馬会は競馬文化の中に、長い「馬名の文化」「馬名命名の文化」もあることを理解していなかったのだ。また、こんな小洒落た命名をする日本人馬主は稀有で、巨泉さんくらいであったろう。ヌレギヌは未出走のままで終わったが、「さすが巨泉さん。和のイメージの綺麗な名前だ、そしてニヤッとさせる」と心から感心したものである。
近年、やっと冠馬名より、考え抜かれた凝った馬名が付けられるようになった。その好例は菊花賞馬でオーストラリア最大のレースであるメルボルンカップに優勝したデルタブルースである。その父はダンスインザダーク(その母はダンシングキイ)、母ディクシースプラッシュ、母の父ディキシーランドバンド、その母ミシシッピマッド、ミシシッピマッドの父デルタジャッジ、母サンドバギー…洒落ている。思わず微笑んでしまう。
しかし懲りすぎた訳のわからない外国名の馬名も増えてきた。格好をつけすぎ、その血統もさっぱりわからないし、物語性も欠如している。小洒落たユーモアもない。つまり馬主たちに文学的素養がないということだろう。巨泉さんは「語彙は教養だ」と言った。その通りである。
小倉智昭さんはテレビ東京で競馬中継を担当していたが、巨泉さんがニッポン放送で「日曜競馬ニッポン」をスタートさせるときに、彼を引き抜き、大橋巨泉事務所の所属とした。
私が競馬会(JRA)のイベントで、ダービーフェスティバルや有馬記念フェスティバルをやり始めた頃、その司会進行は小倉智昭さんと鈴木淑子さんであった。しかしある時、小倉さんの番組での発言が中央競馬会の批判に当たるとして、競馬会を激怒させた。内容は忘れたが、私には以前に巨泉さんが言っていたことと同じ内容と思われた。しかし競馬会は、小倉を外せ、もう彼を競馬のイベントに起用するなと言ってきた。以後、関西テレビの杉本清さんと鈴木淑子さんでいくことになった。
巨泉さんの訃報で、ふとそんなことも思い出した。