藤田伸二騎手が「電撃」引退した。しかし「騎手の一分」(2013年5月刊)の読者からすれば、彼の引退は全く突然ではなかった。
私は彼が2014年いっぱいで引退するのではないかと思っていた。そのため、あるコミックの出版社の方に藤田伸二騎手の原作(原案)で、競馬漫画を出版すれば絶対売れるという話をした。引退すれば、彼は現役騎手としては言えなかったもっと痛烈、激越なメッセージを発するのではないか。
しかし彼は2015年も乗り続けていた。彼は札幌に家を持ち、ご家族はそこで暮らしているという。だから今年の夏競馬で札幌に出場し、そこで鞭を置く決意をしていたのだろう。本拠地としていた栗東には、もう帰らないつもりでいたのだ。
彼は生意気、ヤンチャといわれていた。髪を染め、タトゥーを入れていることも話題になったが、それは単なるファッションの一部に過ぎなかっただろう。よく検量室や調整ルームで、ラフな騎乗をした若手騎手を「ちゃんと乗れ!」と大声で叱っていたというが、そういう後輩騎手の指導は当然だろう。彼も腕の良い多くの先輩騎手から、怒鳴られ、叱られながら騎乗マナーや騎乗技術を学んでいったのだ。
騎手としては年間を通じてのフェアプレー賞を19回も受賞し、年間一度も制裁処分を科されず、特別模範騎手賞を2回受賞した。そんな騎手は彼だけなのである。つまり藤田伸二は、その生涯勝利度数やGⅠ勝利数の数字以上の一流騎手なのである。
「騎手の一分」は口述筆記によるものだろう。それは彼の肉声を聞いているような錯覚を与え、ファンとしては実に楽しい本であった。
しかし、藤田伸二騎手が引退したことで、彼を少々煙たく思っていたJRAや一部の騎手たちはホッとしていることだろう。
彼が「騎手の一分」で投げかけた問題は大きい。ファンも薄々近年の競馬をつまらなく感じていたのだ。競馬場の入場者数や、売上げ額がどのように推移しているかは詳細に知らない。しかしスタンドが立錐の余地もないほど一杯になったときや、競馬場全体が響き轟いたときの凄さや、有馬記念1レースでの売上げ額の記録を知るものとしては、ずいぶん淋しくなったものだという感がある。
亀和田武氏が言うように、最近の競馬には「意外性がない」、だから「つまらない」のである。
かつて社台の総帥・吉田善哉は「競馬は氏より育ち、では駄目なのです。競馬は氏が一番大事なのです」と言った。しかし多くの競馬ファンは、小さな牧場の無名の種牡馬や母馬から生まれた、雑草育ち、野育ち、風雲児のような馬が登場して、疾風のごとく大レースを勝つことに、何とも言えぬ爽快感を感じたのである。ほとんどの人が、氏素性には自信の無い庶民だったからである。
また、寺山修司のエッセイも、そのような馬たちに人生を仮託することを教えてくれたのだ。しかしそういう人生を仮託したくなる、意外性のある馬たちはもう登場しない。そういう馬たちを送り出したような、中小零細牧場は経営すら成り立たず、消えていったのだ。
多くの優秀な馬を輩出する牧場は決まっていて、その種牡馬もほぼ決まっていて、そのクラブ法人馬主も個人馬主も決まっていて、調教師・厩舎もほぼ決まっていて、騎手の顔ぶれもほぼ決まっている。意外性がないのである。
ある競馬ファンがツイッターで言っていたように「つまらない。サンデーレーシングの運動会じゃね」なのである。一極集中ではつまらない。
ダービー出走馬の18頭中12頭が、ノーザンファーム・社台の生産馬なのである。しかも近頃の競馬は2頭出し3頭出しは、馬主も厩舎も当たり前で、5頭出しまである。欧米のように同一馬主や同一厩舎による出走がある場合、それをまとめて一枠とすると、日本ダービーのようなGⅠレースは六枠か五枠もあればこと足りる。
また、多くの競馬ファンが、「公正さ」に、何か釈然としないものを感じているのではないか。JRAの競馬の公正は保たれるのだろうか?
社台、ノーザンファーム系クラブ法人の多頭出し、同様に同一厩舎の多頭出し、騎手のエージェントが騎手に騎乗馬の斡旋、調整、割り振りをし、競馬記者として予想の印を打ち、自ら馬券も買える。彼等有力エージェントは同一の社の所属あるいは出身で、お仲間なのである。…これが釈然としないのだ。それらがファン離れを招いているのではないか。
JRAが突如、騎手のエージェント一覧を発表したからといって、それで競馬の公正が担保されるわけではない。そこに騎手と馬の割り振りを牛耳っていると囁かれていた有力エージェント某氏の名前がなかったことは、何か知られたくないことがあったのだと勘ぐらせる。その名は突如消えたのだ。
そんな騎手のエージェントは一部の大手クラブ法人、有力大馬主と密接につながり、彼等がお気に入りの厩舎・調教師とも密接につながり、そういう強い者や大きな相手には決して逆らわず、かつ取り入るのが上手いか、騎乗技術が上手いかの騎手とつながる。またそれら馬主たちや調教師は、外人騎手ならOKなのである。…多頭出しのオーナーや調教師、有力騎手エージェントたちは、企もうと思えば企めるのではないか。
現にある騎手を干そうと思えば干せたし、ある騎手をリーディングの上位に持ってこようと思えばできるのだ。社台・ノーザンファーム系の能力の高い馬を優先的に回せば簡単なのである。騎手エージェント制は闇のように暗い。
今どきの大馬主、クラブ法人は無論、競馬はビジネス、投資、投機なのである。だから大レースに実績のある騎手を望む。実績のない若手は騎乗機会が減る(数多く騎乗することで成長するのに)。彼等や彼等に覚えめでたい有力調教師には、若手騎手を育てようという意識はほとんどない。だから若手は育たない(強い馬が騎手を育てるのだ)。食えない騎手はやめていく。騎手のなり手も減っている。外人騎手の短期免許を緩和して、もっと連れてくればいいと思っているのだろうか。…これは競馬サークルの危機ではなかろうか。
有力馬主が依頼した(乗せてあげる)騎手が、少々荒っぽいレースをしても勝てばいい、着順が上位に入ればいいのである。
ドゥラメンテの皐月賞もそうだったが、最近のJRAは審議ランプさえ付けない。どうせ降着も失格もないのだから…と思っているのだろう。しかし騎手には制裁を課している。また制裁措置を重くしているともいう。その降着、失格措置がなくなったのは、有力馬主の不満を聞き届けたためらしい。これで公正か? とファンは思う。そして競馬から離れていく。
フェアプレーを心がけ、またヤンチャで個性的なアーティスト騎手がひとり消えたことは残念である。藤田伸二騎手、本当にご苦労様、お疲れ様。フサイチコンコルドをはじめ、たくさん面白いレースを見せてくれてありがとう。