この夏(2015年8月22日)競馬で、久しぶりに爽やかな楽しい話を聞いた。場所は小倉である。
2回小倉7日目第5レース2歳新馬戦で、オウケンダイヤという牝馬が勝ったのである。単勝は189.3倍もついた。彼女は11頭立て11番人気に過ぎなかった。この牝馬、86年以降のJRAの記録によれば、最軽量となる376キロしかなかった。
彼女の母は2008年生まれのオウケンハートという未勝利馬である。父は2006年生まれの新種牡馬オウケンマジックだが、ほとんど無名で、現役時の戦績は27戦3勝、最後の勝鞍が2010年の3歳上500万下条件で、その後は1000万下の条件馬であった。
普通、この成績では種牡馬になれない。またオウケンマジックはその血統を買われて種牡馬になったわけでもない。オウケンマジックの母はオウケンガールという1勝馬に過ぎない。
オーナーに強い「思い入れ」があり、どうしても種牡馬にしてその血を残したかったに違いない。オウケンマジックの産駒は2013年生まれのこのオウケンダイヤと、全弟となるオウケンハートの2014の二頭しかいないという。
この二頭の姉弟の母オウケンハートは、馬格は460から70キロ台と普通だが、2戦して未勝利。新馬戦は16頭立て、上がり40.3、大きく離された殿負け。未勝利戦は16頭立て、上がり42.0、大きく離された殿負け。これは全く走る気がなかったと言ってよい。おそらく「何で走らなければならないの? 何で競走しなければならないの?」…彼女はそのまま引退したのである。
オウケンダイヤのレースを映像で見てわくわくした。先ずこの新馬戦、珍名が二頭いて微笑ませてくれる。先ずはコイハオヤスミ。この勝負服、ご存じ小田切有一氏の所有馬である。そしてもう一頭、以前から珍名ぶりではオダギリ馬に次ぐ森中蕃(しげる)氏の所有馬で、シゲルキハダマグロ。なんじゃこりゃあ? 魚市場か、である。市場は市場でも証券市場で、氏は元々光証券の社長、会長である。シゲルの冠名にその年ごとに株用語篇、役職篇、果実篇、祭り篇などをくっつけるのだ。2013年生まれの馬はサカナ篇としたらしい。
またオウケンダイヤの鞍上は2014年デビューの松若風馬騎手である。この騎手の騎乗ぶりも注目だ。
ゲートが開く。1番人気のタガノフォルトゥナは先行好位置を進み、オウケンダイヤは最後方である。レースは結構早いペースで進んでいるように思われる。小倉の1200メートルは二度坂を下るので、どうしてもハイペースになりがちなのだ。4角手前、オウケンダイヤと松若騎手は最内を突いている。直線を向いてホームストレッチにかかると、あとは平坦で、各馬一杯になりながらも追い競べが激しい。オウケンダイヤは後方の8番手あたりである。実況アナはその馬名すら呼ばない。
松若騎手はすっと馬を外に出した。この子は上手い。動きが滑らかである。カメラフレームからその姿が消えた。ゴールは目前である。一頭素晴らしい脚で外からグイグイと伸びてくる馬がいた。他の馬が止まって見えるほどの脚色である。オウケンダイヤで、あっという間に1番人気のタガノフォルトゥナに1馬身半差をつけてゴールした。これは強いではないか。上がり3ハロン35.5だが、2着に残ったタガノフォルトゥナの上がりが36.8だから凄い脚に見えるのである。しかし小倉の直線の長さは293メートルと短い。オウケンダイヤはわずか1ハロン(200メートル)ばかりで、前にいる7頭の馬を躱したのである。これだけ猛然と馬を追ったのに、松若騎手の姿勢はほとんど揺れなかった。素晴らしい騎乗フォームである。
スポーツ紙によると、松若風馬騎手は「4角で気合いをつけたら、しまいは反応してくれた。手応えが抜群でした。まだまだ伸びしろがあります。本当に小さな馬で非力なので、小倉の1200は合っていますね」と応えている。しかしオウケンダイヤは口向きが悪く遊んでいたという。
西村調教師や松若騎手は、小柄で非力だから、短距離、マイルまでならと考えているらしい。しかし、オウケンダイヤは血統的に中・長距離馬ではなかろうか。無理をさせず、3歳春に400キロ台に成長すれば面白い。あの名牝トウメイも小さかったが、古馬となったとき420キロ台に成長していた。牡馬のエリモダンディーも390キロ前後の小柄な馬であったが、4歳(現馬齢3歳)秋には420キロ台まで成長していた。そして重賞も勝った。
福井オーナーは「思い入れのある馬で勝てて嬉しい、ロマンですね。お父さんも小倉で勝って、相性が良かったんですよ」と感激した。
オウケンダイヤの血統表を眺めると、その「思い入れ」は誰にでもわかる。
どうしても「思い入れ」てしまうはずなのである。
父オウケンマジックの父は1999年生まれ、2002年のダービー馬タニノギムレット、その父はブライアンズタイム。オウケンマジックの母オウケンガール(5戦1勝)の父はマーベラスサンデー(15戦10勝、宝塚記念優勝、有馬記念2着2回)、その父はサンデーサイレンス。オウケンガールの祖母は公営史上最強牝馬と呼ばれたロジータである。
母オウケンハートの父は1998年生まれ、2001年のダービー馬ジャングルポケット、その父はトニービン。オウケンハートの母ローレルプリンセスの父はサンデーサイレンス。つまりサンデーサイレンスの3×4のクロスなのである。
ブライアンズタイム、トニービンは、サンデーサイレンスと共に、まさに日本の競走馬の実力を世界レベルに引き上げた三大種牡馬と言ってよい。その産駒はGⅠレースに鎬を削ってきた。それが結集し、しかもサンデーサイレンスの3×4…。しかし現在はトニービン系、ブライアンズタイム系の血は風前の灯火で、隆盛を誇っているのはサンデーサイエンス系となっている。
オウケンガール、オウケンマジック、オウケンハートは、いずれも新冠の高瀬牧場生産。仔分けで預託したのだろう。オウケンマジックは音無秀孝厩舎に入った。オウケンダイヤとオウケンハートの2014は浦河の辻牧場生産、これも仔分けであろう。オウケンダイヤは西村真幸厩舎の管理馬となった。
「オウケン」の冠名のオーナー福井明氏は、子どもの頃、ブルース・リーに憧れて空手を始めたらしい。クリエーターで商品デザインの会社を経営し、大阪天王寺区の桜拳塾という空手道場の師範・道場主でもある。
当初、一口馬主で数十頭に投資していたが、97年に馬主資格を得て、単独で馬を所有し「オウケン」の冠名で走らせるようになった。2002年、オウケンガールの新馬勝ちが、彼の所有馬の最初の勝利であった。オウケンガールへの強い思い入れは当然である。
やがて音無厩舎に預託したジャングルポケット産駒オウケンブルースリが、菊花賞を制覇した。馬名はもちろん「ブルース・リー」から付けられている。オーナー初のGⅠ制覇である。ジャングルポケットにもまた、思い入れが強いのは当然である。その娘オウケンハートへの思い入れも強いのは当然だろう。
オウケンブルースリ後、これも音無厩舎のオウケンサクラがフラワーカップを勝ち、福井氏の重賞3勝目を挙げた。しかし彼の所有する馬の数はさほど多くはない。オウケンダイヤは、まさに福井オーナーの「思い入れ」の馬である。小さなダイヤは、キラっと輝く夢(ロマン)なのであろう。
さて、松若風馬騎手である。名前も良い。まだあどけなさの残る紅顔の少年で、スター性がある。今後、松若風馬に注目しよう。
彼の父は装蹄師で、小さな頃から父と一緒に競馬場や厩舎に行き、馬と接し、小学生になると乗馬を始めたという。昨年(2014年)、競馬学校の三十期を卒業し、音無秀孝厩舎に所属した。3月1日に騎手デビューすると、翌日に初勝利を挙げた。新人騎手最多勝の47勝を挙げJRA賞最多勝利新人賞を受賞した。しかも騎乗停止処分が一度もない。つまり馬を真っ直ぐ走らせることができ、ラフプレーがなく、他の騎手のプレーを妨害することがなかったのである。また鞍上で上下に揺れることなく、進路の変え方も滑らかで、騎乗フォームが自然で柔らかである。若手ナンバーワン騎手と言ってよい。
この夏の8月9日、小倉記念で17頭立て6番人気のアズマシャトルに騎乗し、初重賞勝ちをしている。能力の高い馬、血統馬、人気馬に乗って上位に来るのは普通で、全く人気の無い、どう見ても非力な馬に乗っても上位に来る、自在に乗るのが天才型なのである。松若風馬はそんなスター騎手になりそうな期待を抱かせる。