天才テシオの遺産

イタリアのフェデリコ・テシオ(1869~1954年)は「ドルメロの魔術師」と呼ばれた馬づくりの天才であった。彼が生産、育成、調教した馬たち、カヴァリエレダルピノ(5戦無敗)、ドナテーロ(9戦8勝)、ネアルコ(14戦無敗)、ニッコロデラルカ(15戦12勝2着3回)、リボー(16戦無敗)の五頭は傑出していた。特にネアルコが世界の競馬に与えた影響は計り知れない。

テシオは幼くして両親に死別した。両親の遺産は管理人に預けられ、学業と軍役を終えるまで手にすることはできなかった。遺産が手に入ったテシオは、画家に憧れて絵を描き、アマチュアの障害レースの騎手となり、酒に溺れ、ギャンブルに手を染め、冒険の旅に出た。その旅は遠く南米に及び、馬に乗ってパンパスの野を行き、ガウチョ等と暮らした。帰国し、リディア・フィオーリ・ディ・セッラメッツァーナとの結婚を機に、マジョーレ湖近くのドルメロの地に小さな牧場を開いた。1898年、テシオ29歳の時である。
テシオは当初安価な牝馬を購入し、その配合を自ら決め、生産し、育成し、自ら調教し、馬主としてレースに使った。テシオとほぼ同時代のイギリスの第17代ダービー卿は、調教師も厩務員も牧場長も牧夫も血統顧問も、彼等専門スタッフに任せた。卓越した種牡馬も良血の繁殖牝馬も、高額であっても手に入れることができた。イタリアのギウセッペ・デ・モンテルも良血の仔馬を購入し、良血の繁殖牝馬を海外の人気種牡馬にも配合させた。イタリア産馬で最初の凱旋門賞を勝ったのはモンテル所有の名馬オルテロだった。
テシオは最初からうまくいったわけではない。彼の所有馬が最初の重賞を勝ったのは1905年、牝馬のヴェネローザのエレナ王妃賞(伊1000ギニー)である。次が1909年、牡馬のフィディアがミラノ大賞典を勝った。その後の1957年まで、テシオの馬はミラノ大賞典を22勝した。ついでながら、伊ダービーは1911年のグイドレーニの初制覇から1957年のブラックまで22勝、伊オークスは11勝、伊セントレジャーは18勝、フランスの凱旋門賞はリボーで2勝を挙げている。またテネラニはクィーンエリザベスSとグッドウッドCを制し、ボッティチェリもアスコットゴールドCを勝ち、ニッコロデラルカはドイツの首都大賞典を制している。
ちなみに、かつて絵描きを志したテシオは、愛馬に画家の名前を付けることが多かった。ざっと見てもレンブラント(伊ダービー、ミラノ大賞典)、ミケランジェロ(伊ダービー、伊セントレジャー)、ドナテーロ(伊ダービー、ミラノ大賞典)、エルグレコ(伊セントレジャー)、ネアルコも紀元前六世紀のギリシャの画家、ドーミエ(伊ダービー、伊セントレジャー)、トゥルーズロートレック(ミラノ大賞典)、ボッティチェリ(伊ダービー、伊セントレジャー、ミラノ大賞典)、そしてリボーもブラック(伊ダービー、伊セントレジャー、ミラノ大賞典、12戦無敗)もフランスの画家からの命名である。

テシオのドルメロ牧場は繁殖牝馬とその産駒ばかりで、種牡馬を置かなかった。年間生産頭数が10頭から12頭ほどの小牧場である。それも購入したい者が現れれば断ることなく売却した。自分の手元に残したのは数頭である。それで毎年イタリアの競馬を席巻し、イギリス、フランス、ドイツの競馬でも良績を挙げた。彼の育成、調教に大きな秘訣があったと考えるべきだろう。
「血統だけでレースを勝つことはできない」
「調教は素質を伸ばすことはできるが、新たに素質を創り出すことはできない」
彼は馬をできるだけ自由に、自然を模倣して育てることを理想としていたらしい。自然が最良のものを教えてくれる…。
しかし、テシオの当歳馬はあまり発育が良くなく、痩せて見栄えがしない馬が多かったようだ。ケンタッキーのホースマンが言ったそうである。「テシオの当歳馬をキーンランドのセリに出しても、500ドルでも売れないだろう」
テシオは良績を挙げた有力牡馬も種牡馬として売却した。アペレ、エルグレコはフランスへ、デアルベルティスはデンマークへ、ドナテーロ、ネアルコ、ニッコロデラルカ、トルビード、テネラニはイギリスへ、ベリーニ、ボッティチェリはドイツへ、そしてドーミエ、トゥルーズロートレックはアメリカに輸出された。
これは所有の牝馬に所有の種牡馬を配合したいという誘惑を断ち切るためであった。その牝馬にはどんな種牡馬が良いのかを、もっと自由に判断し、多様な中から選択したいためである。彼がその牝馬に、売却した種牡馬を配合すべきだと想到した時は、たとえ外国でも、わざわざ高い輸送費をかけて連れて行ったのである。受胎率は半分以下で不受胎返金せずであった。
テシオが自ら生産した種牡馬では、ミケランジェロ、カヴァリエレダルピノ、ベリーニ、トルビード、テネラニを好んで配合している。彼はネアルコを生涯最高の馬と言いつつも「真のステイヤーではない」と評していた。テシオはネアルコを一度も配合に使わなかったが、半弟のニッコロデラルカはよく用いた。その産駒は二頭の「イタリアの女傑」トレヴィサーナ(22戦17勝)とアストロフィーナ(19戦14勝)であり、ドーミエ(15戦13勝)である。
テシオが「最良の生産馬である」と言ったのはカヴァリエレダルピノ(父はフランス産、イタリアで走った一流馬で一流種牡馬アヴレザック、母はイギリスから輸入した高額の良血馬シュエット)であった。この馬はイタリア最高のミラノ大賞典を勝ったが、わずか5戦したのみであった。しかしこのカヴァリエレダルピノからベリーニ(23戦15勝、伊ダービー、伊セントレジャー)が出、ベリーニからテネラニ(24戦17勝、伊ダービー、伊セントレジャー、ミラノ大賞典)が出て、テネラニからリボーが生まれたのである。
テシオが何を基準に繁殖牝馬を購入し、何を基準に配合種牡馬を選択していたのか、実はわからない。明確な理論や原理を持っていたとも思えない。言えることは、彼は短距離馬を好まなかった。彼が理想とした馬は、豊かなスピードと持久力と底力を有したセントサイモン(イギリスの10戦無敗の名馬・名種牡馬)や、ブレニムのような万能型の馬だったと思われる。
「一流馬の血統には、祖先に必ず一流のスピード馬がいる」…だからわざわざ持久力のない短距離馬を配合しようとは思わなかったのだ。
テシオは優れた競走成績を挙げた牝馬や、良血牝馬を求めたこともあり、卓越した競走成績や実績を持つ人気種牡馬を配合することもある。一方、評価の低い安価な種牡馬を配合したり、ちっぽけな牧場の実績のない牝馬や、小柄で見栄えのしない痩せた牝馬を買い求めたりもしている。
彼が馬の中に凝視、洞察したものは、血統、体型、体質、個性…そして勇敢さ、潜在的能力、数代を経て改良できる秘めた可能性…。そのための適切な牝馬と適切な種牡馬の、最良の配合…である。その判断は、まさに天才の勘、慧眼というしかない。
テシオは比較的初期に、安価な牝馬マドレーを購入した。これにイギリスやアイルランドでも評価も低く種付け料も安いスピアメントという地味な種牡馬を配合し、ファウスタ(伊ダービー、伊オークス)を生産した。この牝馬はミケランジェロの母となっている。同じくアイルランドでもイギリスでも人気のない安価な種牡馬コロナックから、ヤコパデルセライオ(伊1000ギニー、伊2000ギニー、伊オークス、伊ダービー)を生産し、同様に安価な種牡馬スパイクアイランドでドサドッシ(伊オークス)を生産した。
またイギリスからキャットニップという痩せた牝馬を、わずか75ギニーで購入した。彼女は1勝馬に過ぎず、その父は先述のスピアメントである。そのキャットニップは、三頭の勝ち馬(重賞を含む)を出した。さらにテシオはこのキャットニップに、先述の一流種牡馬アヴレザックをかけた。その牝駒ノガラは、いまだに「競馬史上最も偉大な牝馬」と評されている。
ノガラは伊1000ギニー、伊2000ギニーを勝ち、18戦14勝。母としては、産駒の9頭中8頭が出走して勝馬となり、内7頭が重賞勝ちした。その中に人気種牡馬ファロス産駒のネアルコと、安価な種牡馬コロナック産駒のニッコロデラルカ(伊ダービー※20馬身差のレコード勝ち、伊セントレジャー、ミラノ大賞典、ドイツの首都大賞典)が含まれる。
またテシオはイギリスで一歳の牝馬をわずか160ギニーで購入した。彼女の馬体は難点だらけだったという。またその父は競走馬としても種牡馬としても三流で、母は良血だが未勝利馬だった。テシオはこの牝馬にドゥッチアディブオニンセーニャと名付けて走らせた。彼女は伊1000ギニーに勝った。この馬に良血でイギリス2000ギニー優勝馬のクラリシマスを配合し、牝駒デレアナを生産した。デレアナは伊2000ギニー、伊1000ギニー、イタリア大賞典を勝ち、テシオ好みの距離万能型の種牡馬ブレニムを配合されて、ドナテーロの母となった。
イギリスで種牡馬となったドナテーロから名馬アリシドンが出、アリシドンから名馬アルサイドが出て、アルサイドからリマンドが出た。リマンドは日本で種牡馬として供用され、オペックホース(ダービー)、アグネスレディ、テンモン(オークス)を輩出した。この系統の特徴は大レースでの底力である。
リマンドの娘メジロオーロラの息子はメジロデュレン(菊花賞、有馬記念)、メジロマックィーン(菊花賞、天皇賞春、宝塚記念)兄弟である。メジロマックィーンの娘オリエンタルアートは、ドリームジャーニー(宝塚記念、有馬記念)、オルフェーヴル(三冠、有馬記念2勝、宝塚記念)の母となった。またオルフェーヴルと同じ配合のゴールドシップ(皐月賞、菊花賞、有馬記念、宝塚記念2勝)にも、テシオの傑作ドナテーロの血が流れている。

さて、ネアルコのことである。デビューから連戦連勝、伊ダービーを勝った。テシオはネアルコの長距離適性を疑っていた。伊セントレジャーは同じテシオの馬でカヴァリエレダルピノ産駒のウルソーネを出走させ、これを制した。
テシオはネアルコのためにミラノ大賞典のトライアルとして、サンシロ競馬場で3000m戦の変則的実験レースを組んでもらった。出走馬はネアルコ(負担斤量は119ポンド)、3000m戦なら9戦7勝2着2回の最強の僚馬ウルソーネ(108ポンド)、そしてスプリンターで1500mなら最強馬と言われたビストールフィ(119ポンド)の三頭である。
先ずネアルコとウルソーネがスタートし、1400m地点からビストールフィが二頭に併走してスタートするのである。結果はネアルコの楽勝で、次いでビストールフィ、ウルソーネは大きく遅れてゴールした。
その後ネアルコはミラノ大賞典を楽勝し、パリ大賞典に遠征してこれも楽勝した。破った相手はイギリスのダービー馬ボアルセル(ヒンドスタンの父)やフランスの一流馬たちであった。
ネアルコはイギリスではナスルーラを通じて底力血統のネヴァーベンド(世紀の名馬ミルリーフが出て、その系統のプレイヴェストローマンやマグニチュードが日本に来た)、短距離の王者グレイソヴリン、中距離のプリンスリーギフト(産駒テスコボーイは日本に来て数多くの活躍馬を出した)、レッドゴッド等を輩出した。レッドゴッドはブラシッググルームを出し、そこからレインボウクエストやナシュワンと続いた。
カナダでは底力のあるニアークティックから万能型のノーザンダンサーを経て英三冠馬ニジンスキー、短中距離の王者ダンツィヒ、中長距離で底力血統のサドラーズウェルズ等を輩出し、日本にはノーザンテーストがやって来た。
アメリカではナスルーラからボールドルーラー、そしてセクレタリアトヘ。短中距離のロイヤルチャージャーを通じ、短中距離のターントゥから、ファーストランディング、リヴァリッジの系統へ。またターントゥから仕上がり早のヘイルトゥリーズンへ、そして中長距離のロベルトを経て中・長距離で晩成型のリアルシャダイや中長距離・底力血統のブライアンズタイムの系統へ。もう一つの系統はヘイルトゥリーズンから仕上がり早で万能型のヘイローを経て、万能型でスピードも底力も兼ねたサンデーサイレンスへと続き、サンデーサイレンスは日本の競馬を一挙に世界レベルに引き上げたのである。

テシオは英ダービー馬パパイラスの当歳牝馬を購入し、バルバラブリニと名付けて走らせた。中級程度の成績を挙げたが、これは予想をはるかに上回る成績だった。なぜなら父のパパイラスは大失敗の種牡馬だったからである。このバルバラブリニに、彼が生産したステイヤーながらスピード豊かなエルグレコ(父ファロス)を配合した。その牝駒がロマネラで、7戦5勝を挙げ二歳チャンピオンになったが、気性難からくる悪癖と、骨瘤症状が出たため三歳は未出走で引退した。このロマネラにテレラニを配合してリボーが誕生した。
リボーはあまりに小柄だったため「ちびっこ」と呼ばれた。そのためテシオはクラシック登録をしなかった。しかし、これは凡馬ではない、将来相当な大物になるだろうと楽しみにした。テシオはその活躍を見ることができなかった。彼が亡くなった二ヶ月後にリボーがデビューした。そして、その春に誕生したブラックは、テシオが生産した最後のクラシック優勝馬となった。
リボーはイタリア、イギリス、フランスで走り16戦全勝、ほとんど楽勝である。イタリア二歳チャンピオン、ヨーロッパ三歳チャンピオン、フランス古馬チャンピオン、ヨーロッパ年度代表馬2回。二十世紀最強馬と言われている。おそらくリボーこそが、フェデリコ・テシオの最良の生産馬であっただろう。

私がまだあまり競馬の知識が無かった頃、リボー産駒のマロットの子、イシノヒカルを見た。彼は駄々っ子で意地っ張りだった。マロットはイタリア産馬で20戦7勝、決して一流馬ではなかった。その産駒のほとんどはスピードに欠け、成長が遅く、気性難もあり、二流のまま終わっている。二流種牡馬と言ってよい。ごくわずかな産駒が、リボー系の特徴であるスタミナと底力を持った一流馬に育つのである。
イシノヒカルは菊花賞を後方からぶっこ抜き、有馬記念も歴戦の強い古馬たちを相手に、後方から豪快に抜き去った。私は瞠目した。「大レースでは、祖先にリボーの血を持つ馬は買いだ」という考えが私の中に生まれた。その後同じマロット産駒のイシノアラシも有馬記念を勝った。
リボー産駒の種牡馬フジオンワードから、故障で消えたアザルトオンワードという怪物じみた馬と、エリザベス女王杯を勝ったリードスワローが出た。さらに後、リボーからグロースターク、ジムフレンチを経たバンブーアトラスがダービーを制覇し、バンブーアトラス産駒のバンブービギンが菊花賞を制覇した。特にバンブーアトラスを見て、これがリボーの底力だと感嘆した。
そして何より種牡馬ブライアンズタイムの母の父グロースタークは、極めつけのリボー系なのである。三冠馬ナリタブライアン、マヤノトップガン(菊花賞・有馬記念・天皇賞春)、サニーブライアン(皐月賞、ダービー)、シルクジャスティス(有馬記念)、タニノギムレット(ダービー)、ファレノプシス(桜花賞、秋華賞、エリザベス女王杯)、シルクプリマドンナ(オークス)等には、そのリボーの血が流れている。

しかし、「血統だけでレースを勝つことはできない」「調教は素質を伸ばすことはできるが、新たに素質を創り出すことはできない」…やはりフェデリコ・テシオは、評価の低い種牡馬や、安価な見栄えのしない牝馬から、新しい素質を創り出す「魔術師」だったと思われる。