今年の第81回東京優駿(日本ダービー)に、ウインフルブルームという尾花栗毛の馬が出走するはずだった。勝つはずもないが、その美しい姿の疾走を秘かな楽しみにしていた。しかし彼は出なかった。
レースはワンアンドオンリーが勝利し、皐月賞馬で1番人気のイスラボニータは2着に終わった。
波乱の多いダービーであった。ウインフルブルームは出走取り消し、逃げたエキマエは四角で故障発生、競走を中止し、二番手を進んでいたトーセンスターダムが先頭に立った。鞍上は武豊である。ピッタリと内ラチ沿いを走り、スピードを落とすことなく、そのしぶとさに猛追する馬たちも、簡単に並ぶことも躱すこともできなかった。
ゴールまで二百メートル、内ラチが大きく波打ち、トーセンスターダムはあっという間に後退していった。ラチに馬体をぶつけたのである。ワンアンドオンリーが抜け出し、急追したイスラボニータが並んだところがゴールだった。
トーセンスターダムは二億五千万円の高額馬で話題となり、このダービーでは5番人気に推されていたが、無惨にも16着に沈んだ。完走した馬の中では最下位だ。あれがなければ、勝っていたのは彼だったのではないか。
イスラボニータは強いとは思う。将来秋の天皇賞や宝塚記念くらいは勝てるだろう。その父はサンデーサイレンスの初期の産駒フジキセキである。イスラボニータは本質的にタイキシャトルやロードカナロアのようなマイラータイプでなかろうか。ワンアンドオンリーは今後苦戦を続けるだろう。タイプとしてはエイシンフラッシュに似ている。現時点での私の印象は、今年の三歳馬は全体としてレベルが低いのではないか、ということである。
直前に出走を取り消したウインフルブルームは、派手な尾花栗毛で、父はサンデーサイレンス産駒のスペシャルウィークである。それにしてもニシノデンジャラス、グランクロワ、フローテーション、マイネルオレアと、近年の派手な尾花栗毛馬はスペシャルウィークの産駒ばかりである。
かつて、タイキシャトル、トウショウファルコ、ゴールドシチーといった活躍馬も尾花栗毛であった。特にゴールドシチーは四白流星の尾花栗毛で、実に華麗であった。そのたて髪は光の加減で金髪にも銀髪にも見え、歌舞伎の連獅子の白い髪を思わせた。いつも本田優騎手はゲート入りを待つ間、ゴールドシチーのイレ込みやすい激しい気性を落ち着かせるため、彼をできるだけ群れから離し、ただ一頭柵の傍に佇ませていた。それは光を帯びた美しい立ち姿だった。
(※あまり馬に詳しくない方は、ぜひインターネットで「尾花栗毛」「ゴールドシチー」画像で検索し、ご覧いただきたい) …そう言えばゴールドシチーの世代もレベルは低かった。
ホクトヘリオス、メリーナイス、マティリアル、サクラスターオー等の世代である。東西の3歳(現2歳)チャンピオンは、東がメリーナイス、西がゴールドシチーである。
クラシック第一弾皐月賞はサクラスターオーが勝ち、ゴールドシチーは2着だった。サクラスターオーが故障で回避したダービーは、メリーナイスが優勝した。2着はサニースワローで、ゴールドシチーは4着であった。
菊花賞は再起したサクラスターオーが勝ち、ここでもゴールドシチーは2着だった。暮れの有馬記念に歩を進めたのは、サクラスターオーとメリーナイスだった。しかしメリーナイスは発馬直後に落馬し、サクラスターオーは競走中に故障してしまった(闘病後に死亡)。本当はこの世代ではサクラスターオーだけが突出していたのではなかろうか。
さて、メリーナイスと言えば根本康広騎手である。橋本輝雄厩舎に所属した。根本は決して上手い騎手とは言い難く、騎乗数にも恵まれていなかった。しかし東京の下町育ち、明朗闊達、やんちゃながら誰からも好かれる人柄であった。同期の加藤和宏騎手、木藤隆行騎手と仲が良く、三人で「美浦の三バカ」と自称していた。
温厚な橋本輝雄調教師はこの弟子を可愛がり、イーストボーイをはじめ、自厩舎の馬に乗せ続けた。矢野進調教師も彼に騎乗を回した。根本は修業時代、障害が一番下手だったそうである。それが矢野師の期待に応えるようにバローネターフで中山大障害を春秋連覇した。八木沢勝美調教師から回されたオキノサコンで東京障害特別(秋)も制覇した。騎乗機会が増えれば、上手くなるのだ。
また天皇賞(秋)、矢野師から回されたギャロップダイナで、最後方から豪快に追いまくって、絶対皇帝シンボリルドルフを差し切ってみせたのである。
牝馬のような名前のメリーナイスは美しい栗毛馬で、小さな前田牧場で生まれた。生産頭数が年に三頭程度の牧場である。父はノーザンダンサー系とは言え、ほとんど実績のないコリムスキーである。
根本は朝日杯3歳ステークスで、豪快なアクションと風車ムチでメリーナイスを駆り、優勝した。そして4番人気のダービーも圧勝した。このレースにサクラスターオーはいない。華麗な尾花栗毛のゴールドシチーも、マティリアルもホクトヘリオスも、大したライバルではなかったのだ。橋本師は、かつて騎手時代にカイソウとクモノハナで、二度ダービーを制していたが、調教師としてのダービー制覇はなかった。根本は老師の恩に報いた。
根本の豪快なアクションは無駄な動きにも思える。鞍上で大きく動けば、それだけ馬への負担も大きかろう。馬と根本の動きが一致しておらず、馬がグイと頭を前に出すとき、根本の重心が後ろに移っている様に見える。障害レースの癖か、アブミが長いのか鞍上での姿勢が高い。「天神乗りか」と思うほどである。長距離を意識して長手綱なのだろうか。有馬記念での落馬は、馬が躓いたとき長手綱だったため対応できなかったと言われた。
多くのファンは「下手くそ。馬の邪魔をするンじゃあねえよ」と言いながら、しかし皆笑顔で根本の個性的な騎乗スタイルを楽しんでいた。「もう一度、あの豪快な風車ムチを見せてくれ」…誰もが根本康広という個性を愛していたのである。
「メリーナイスの騎手が根本でなければ、GⅠをあと二つは勝っていたンじゃないか」とひどいことを言いながらも、皆「メリーナイスと言えば根本、根本と言えばメリーナイス」と思っていたのだ。
美しい尾花栗毛の背光に、多くの昔の馬や騎手のことなどを想い出した。