たくさんの強い馬たちを目撃してきた。自ら目撃できなかった古い馬たちに関しては、残された競走データや記録映像で、その馬の強さや個性を記憶してきた。
先に書いたように、強さとは相対的なものなだが、私が最強馬だと本当に実感した馬は、94年の三冠馬ナリタブライアンである。無論2005年の三冠馬ディープインパクトも、84年の三冠馬シンボリルドルフも64年の三冠馬シンザンも甲乙つけがたい。そして彼等は、全て個性が違うのだ。
日本の長い競馬史に、三冠馬は六頭しかいない。ナリタブライアンは唯一デビュー戦を勝利で飾れなかった三冠馬である。また最も負け数の多い三冠馬でもある。しかし私の記憶の中の印象では、彼こそが最強馬なのである。そして三冠レースでナリタブライアンが2着馬につけた着差の合計15馬身半は、ダントツの第一位なのである。
彼には弱点があった。自らの影にすら怯える繊細な気性、そして興奮しやすい烈し過ぎる気性である。また一度落ち込むと立ち直りに時間がかかる精神的な弱さもあった。だからダービーに至るまでによく負けもし、また古馬になってからは故障に泣き、あるいは精神的に落ち込んでは負けていた。
しかし負けたレースに於いても、騎乗した騎手たちはナリタブライアンを「凄い馬だ」と評した。主戦騎手だった南井克己は「今まで乗った馬の中で一番強い」と語った。一度乗って勝ったベテラン清水英次は「これは器が違う」と舌を巻いた。大久保正陽調教師は「全くモノが違う」と胸を張った。生産者の早田牧場の早田光一郎は「これは人智を超えた馬だ」と評した。ライバル馬に騎乗していた武豊は「全く勝てる気がしない」と語った。フランスの名騎手オリビエ・ペリエは日本の印象に残る馬を尋ねられて、唯一ナリタブライアンの名を挙げた。理由を聞かれ「あの馬は世界クラスだよ」と答えた。イギリスのマイケル・ロバーツ騎手も同様の評価をして絶賛した。
シンボリルドルフを育てた野平祐二調教師は、ナリタブライアンが現れるまで「ルドルフは日本競馬史上の最強馬」と言い続けてきた。ルドルフに騎乗した岡部幸雄も「ルドルフのような馬は二度と現れないだろう」と言い続けてきた。野平祐二はナリタブライアンが完勝した皐月賞を「まるで大人と子供の闘いだ。一頭だけ別次元のレースをしている」と評した。そして菊花賞でルドルフ以来の五頭目の三冠を達成した時、野平は「現時点ではナリタブライアンが上だ」とシャッポを脱いだのである。
JRAが2000年にファンから公募して発表した「20世紀の名馬」では、ナリタブライアンは第1位に選ばれた。あのシンボリルドルフは6位、シンザンは7位である。しかしこれは、つい最近競馬を始めた若者たちの記憶が反映されたものに過ぎない。
血統研究家で作家の山野浩一や競馬評論家たちで構成されている「全日本フリーハンデ」(競走馬の強さを負担斤量で表す、イギリス発祥の国際的評価法)では、3歳時のナリタブライアンは129ポンドの評価を受け、現在まで第1位のままである。ちなみにシンボリルドルフは128ポンドであり、2006年6月時点でディープインパクトは127ポンドの評価である。これは同世代のライバルたちの力も比較勘案された、相対的で客観的な評価である。
ナリタブライアンの豪快な追い込みを目の当たりにした時の驚きを、私は決して忘れることはないだろう。ナリタブライアンは460~70キロの均整の取れた黒鹿毛の馬体であった。その強い!という印象は、直線で中団から馬群を割って出てくる凄みのある走りにある。それは馬群を豪快に「割る」という印象が強い。似たような戦法の馬にカツラノハイセイコがいたが、彼は後方から馬群を「斬り裂いて」出てきたという印象なのだ。かつてシンザンを育てた名伯楽・武田文吾は二冠馬コダマと比較し「コダマはカミソリの切れ味、シンザンはナタの切れ味」と評した。至言である。
ナリタブライアンとカツラノハイセイコの印象の違いも、ナタとカミソリの違いだろう。ちなみに名騎手・河内洋はインタビューでこれまで最も印象に残る馬を尋ねられ、「カツラノハイセイコ」と答えている。その理由は「あの馬は本当に恐かった。いつも怒っていたよ」と言葉を継いだ。それは恐ろしかったであろう。カツラノハイセイコは僅か40~50センチの間隙でもあれば、騎手の意思とは無関係に、そこを目がけて突っ込んでいく危険な狂気を持った馬だったからである。
話題が逸れた。 ナリタブライアンが馬群の中団に位置することが多かったのは、彼の四囲を馬で包み込んで、烈しすぎる気性から来る暴走を抑える南井騎手の戦法だったのだろう。豪快な追い込みを得意とする南井は、ナリタブライアンならいつでも馬群を突き抜けると思っていたのだろう。
さてナリタブライアンとディープインパクトとの比較である。豪快なナリタブライアン、安定性のあるディープインパクトと、二頭は全く個性が違うのだが、私の印象では…勝つ時の凄み、強烈さで言えば…しかしあの素軽さ、速い脚を長く使える凄みは …でもあの豪快さは…。彼等は個性も、ライバルたちも違うのだ。
(この一文は2006年12月28日に書かれたものです。)