野球、柔道、水泳、陸上、相撲でも、一流のアスリートたちには名言が多い。
「今自分にできること。頑張ればできそうなこと。そういうことを積み重ねていかないと、遠くの目標は近づいてこない」(イチロー)
「良かったことの現実も、悪いことの現実も、次へ向かう糧にしたい」(高橋尚子)
「自分はあるがままのもの。それ以上でも、それ以下でもない」(青木功)
「克己とは、体力の差でもない、知識の差でもない、意思の差だ」(古賀稔彦)
一流が発した言葉だから重みがあり、名言とされるのである。これが幕下や三段目で廃業した力士が言っても、名言とはされない。時には暴言とされる。
若羽黒という力士がいた。親方衆が「土俵には宝が埋まっている」と言うと、「埋まってるわけないじゃん」とせせら嗤った。肚の中で思ったのではなく、声に出したのだ。
若羽黒は生来柔らかな身体で腰も重い。当時としては大きな丸い身体を丸めて、下からモコモコとハズで押していく。突進型ではないから簡単に前に落ちない。親方衆や玄人はだしの好角家たちは、その天賦の才に舌を巻き期待した。
ところが若羽黒は大の稽古嫌いであった。彼はろくに稽古もせず、大関になり優勝もした。栃錦引退後、初代若乃花と共に「二若時代来る」と期待された。
ちばてつやの「のたり松太郎」は天衣無縫な輪島と、怪力北天佑がモデルとされた。しかし若羽黒こそ松太郎に近似だと思われる。彼は天衣「無法」なのである。部屋付きの親方が彼を注意すると「親方、番付はどこまでだい? 僕は大関だよ」と言い放った(彼は自分を「僕」と称した当時唯一の力士である)。
アロハシャツに短パンで場所入りし「品格がない」と注意を受けると、翌日からスーツにネクタイ姿で場所入りした。反逆児なのである。
ある日中山競馬場に遊びに行った若羽黒は、そこでヤクザ者と一悶着を起こした。激昂したヤクザ者はピストルの銃口を若羽黒の口の中に押し込み「ぶっ殺すぞテメェ」と恫喝した。その男は別件で何度も刑務所に入っていたのだが、後年作家としてデビューした。安部譲二である。
周囲やファンが期待した二若時代はついに来なかった。普段からの稽古不足で、体力の衰えも転落も早かったのだ。天賦の才はついに花開かなかった。
「天才(天賦の才)は努力によって花開くのである」(これ私の言葉)…けだし名言だなあと思っても、私が言ったのでは説得力も重みもないなあ。それより「勝っても、かぶっても、おしめよ」(藤猛)の方が面白いなあ。