サッカーボーイ

何年か前、夢の中で映画を見た。
その映画は、白い砂埃をあげながらサッカーに興じる子どもたちのシーンから始まった。…パレスチナであろうか、それともアフガニスタンであろうか?
わからない。難民キャンプである。少年たちが歓声を上げながらボールを追う。みな裸足だ。そのゲームの中に、一人だけ皆の動きやボールについていけない少年がいる。少年はあきらかに手製とわかる松葉杖で身体を支えていた。
それでも彼は笑顔でボールを追った。彼の右脚は膝から下がない。仲間の少年が彼に向かってボールを転がした。そのボールを誰も奪いに行かない。少年の白い歯が光り、左脚でボールを蹴った。ボールはコロコロと転がり、再び少年たちは声を上げながら、あまり勢いのないそのボールを追う。砂埃が舞った…。
その夢の中の映画は、やがてその少年たちがテロリストになっていくという、悲しい物語だった。

サッカーボーイは大変な名馬だった。その名から「弾丸シュート」と言われた猛烈な末脚を爆発させた。一度突き抜けると、後続馬を8馬身も10馬身も置き去りにした。そのスピード感溢れるレースぶりは素晴らしかった。そして何より、栃栗毛の馬体と尾花栗毛の派手な姿は美しかった。その馬体は光の加減によって鬱黄色に輝いて見えた。
サッカーボーイはダービーをサクラチヨノオーの15着に惨敗した。彼は飛節炎に悩まされていたのだ。彼の最後のレースは有馬記念だったが、オグリキャップの3着に敗れた。彼は典型的なマイラーであり、2000メートルまでが最適な距離だったのである。

種牡馬となったサッカーボーイの血統は、日本の競馬にとって極めて貴重なファイントップ系であった。彼の父はディクタスで、母の父はノーザンテーストだった。ディクタスの父はサンクタス、その父がファイントップである。
どちらかと言えば早熟で、スピード豊かなマイラー型のサッカーボーイだったが、不思議なことに、スタミナ豊かなステイヤー型の産駒を数多く輩出した。しかも初勝利までに手間取る晩成型の仔である。
ゴーゴーゼットは初勝利までに11戦を要したが、古馬になってからアルゼンチン共和国杯や日経新春杯を勝った。
ナリタトップロードの初勝利は2戦目と早く、皐月賞3着、ダービー2着と春から活躍し、秋に菊花賞を制覇した。古馬となってからも3000メートルの阪神大賞典を2度制した。
ヒシミラクルの初勝利も遅く10戦を要した。彼は菊花賞と春の天皇賞、宝塚記念を制覇した。典型的な晩成型のステイヤーである。
牝馬ではティコティコタックが秋華賞を制した。もちろんスプリンター型もマイラー型の産駒も輩出しているが、サッカーボーイは何故かステイヤーに名馬を出したのである。これは彼が母系の特性を活かす種牡馬であることを示している。従って母の父としても成功するだろう。

ゴーゴーゼットの母の父は天皇賞馬ニチドウタロウであり、その父は豊かなスタミナを誇ったアルゼンチンの歴史的名馬エルセンタウロである。社台牧場の吉田善哉は、このすぐには結果を出さないだろうエルセンタウロを、アウトブリードを可能とする血の多様性と、そして二十年先、三十年先を見据えて導入したのだろう(本当に凄い人だ)。そしておそらく予想よりずっと早く直仔ニチドウタロウが天皇賞を制したのだ。しかしゴーゴーゼットは種牡馬にはなれなかった。日本の競馬界は、若駒のうちから稼げる早熟でスピード豊かなマイラー系を好むからある。
ナリタトップロードの母の父はレイズアネイテイブ系のアファームドであり、その力強さをよく受け継いでいた。しかし器用さを欠いたところも受け継いだようである。種牡馬として期待されたが、残念なことに供用3年で死んでしった。彼ならマイラー系の牝馬との間に、父サッカーボーイのような素晴らしいスピードを再現したかも知れなかった。
ヒシミラクルの母の父はシェイディハイツである。その父はシャーリーハイツ、さらにミルリーフと遡る。この血統は、豊かなスタミナと何より底力を備えている。ミルリーフは英ダービー、キング・ジョージ&クイーン・エリザベスS、凱旋門賞を勝った14戦12勝2着2回の歴史的競走馬であり、素晴らしい底力を伝える種牡馬だった。種牡馬としても大成功し、日本に入ったミルジョージ、マグニチュードの産駒もスタミナと底力を伝え、一流馬を輩出した。ヒシミラクルはサンデーサイレンス牝馬と和合性があるかも知れない。またスピードの勝ったノーザンダンサー系種牡馬とも合うだろう。このファイントップ系の血は貴重である。しかし時流に沿った血統ではない。

ワールドカップを見ながら、サッカーボーイとその仔らについて書いた。

(この一文は2006年6月13日に書かれたものです。)