競馬の比較文化学

競馬は優れて「社会学」的あるいは「文化人類学」「比較文化学」的である。
今秋26回を迎えるジャパンカップ(JC)は、国際的にグレードワン(GⅠ)と認証された国際招待指定レースである。
このJCは日本中央競馬会(JRA)が1981年に創設した。記念すべき第1回のJCは、9番人気のメアジードーツというアメリカの牝馬が勝った。東京コース2400メートルのコースレコードを軽く破る2分25秒3のレコード勝ちで、日本の「一流馬」は5着が精一杯だった。彼我の差は明らかだった。

競馬会はこの第1回のJCに、海外の招待各国から競馬記者も招待していた。彼等が帰国後に、JC観戦記や日本の競馬に対して好意的な記事を書いてくれることを期待したのである。その中にイギリスのM(うろ覚えだが確かモーリスだったか)という競馬記者(ジャーナリスト)がいた。彼はイギリスでも著名な壮年の競馬ジャーナリストだった。M記者は帰国後に書いた。
「イギリス人にとって競馬は高貴なるスポーツである。フランス人にとって競馬は大衆の娯楽である。アメリカ人にとって競馬はビジネスである。そして東洋の国、日本人にとって競馬は、ギャンブルにすぎない」
日本中央競馬会の国際課はこの記事に激怒し、二度とM記者を招待しないと言った。おそらく競馬会は、競馬場のスタンドが大きくて立派なことや、大レースではファンが12、3万人も入ることや、馬券の売上げが1日300億円にも達すること等を書いてもらえるものと期待していたのである。しかしイギリス人M記者は、「ジャーナリスト」であって、「予想屋」や「提灯屋」ではなかったのである。彼我の差は明らかだった。

ある年のダービーフェスティバルで、私は「ダービーという競馬ロマン」をテーマとした企画書を、イベントの担当部署であるサービス事業課に提出した。なぜ競馬ロマンを強調したかと言えば、その数年前よりフェスティバルの内容が「レース展望」、つまり予想に大きく傾きつつあったからである。それではフェスティバルは単なる大予想大会に過ぎなくなる。しかし…プレゼンテーション後に担当者が言った。
「ロマンでは客は満足しないよ。来場者はダービーの予想を聞きに来るんだ」
イギリス人M記者は鋭く見抜いていたのである。「日本人にとって競馬は、ギャンブルにすぎない」と。

日本のサラブレッド生産界は、ある種牡馬が成功するとその系統に偏る傾向がある。それはまるで付和雷同であり、ファッショである。つまり日本人の危険な性向なのだ。
種牡馬ネバービートが成功すると、その父ネバーセイダイ(死ぬなんて言うな!)の産駒を種牡馬として、一斉に、次々と輸入した。ダイハード、ラークスパー、フィルモン、シプリアニ、エンドレスハネー、コントライト、マンオブビィジョン…。
パーソロンが成功すると、その父マイリージャンの産駒、ファルコン、アイオニアン、タンディ、そしてパーソロンの全兄弟ミステリー、ペール、マイフラッシュ…全て駄馬であった。何という愚かさだろう。
テスコボーイが成功すると、その父プリンスリーギフトの産駒であるファバージ、フロリバンダ、バーバー、ソーブレスト、トライバルチーフ、リアルム、サンプリンス、レボウ、ディバインギフト、マイハート、グッドウッド、フランキンセンス…と呆れるほどに輸入した。

ある年の天皇賞(3200メートル)にテスコボーイの最高傑作トウショウボーイが1番人気になって登場した。外国人の記者が予言した。
「トウショウボーイは勝てないよ。マイラーのテスコボーイの産駒だろ。彼には距離が長すぎるよ」
彼の予言通りトウシヨウボーイは3着に敗れた。
「ほらね」と、外国人記者が得意げに言った。
「でも勝ったホクトボーイもテスコボーイの仔ですけど」と、日本人が言った。外国人記者は絶句した。日本の競馬界に血統の多様性はなく、ステイヤー血統は消滅しかかっていたのである(ちなみにホクトボーイの母の父はステイヤーであった)。
そしてノーザンテーストが成功すると一斉にノーザンダンサー系に偏った。ノーザンダンサーの直仔ばかりでなく、その孫の産駒まで買い漁った。こうした生産界の性向は、サラブレッドの血の多様性を失うのである。「見えざる神の手」ラムタラは、多様な血統が残された欧州に返してあげるべきなのである。そこで「欧州の歴史的名馬」「神の馬」ラムタラは甦るはずだ。
サラブレッドの生産界を一瞥しただけでも、日本人の付和雷同性、ファッショ性、同質性、視野狭窄的、盲目的性癖は明らかだ。日本人は危険な国民性を秘めているのである。競馬とは、何とも社会学的あるいは文化人類学、比較文化学的な娯楽ではないか。

(この一文は2006年5月15日に書かれたものです。)