掌説うためいろ 動物園悲話
暮れなずむ八月末の上野恩賜動物園である。園内で蝉がかしましく鳴きかわし、ますます暑苦しく思われた。 象の担当飼育員・菅谷吉一郎と渋谷信吉は...
競馬と文学と童謡と……
暮れなずむ八月末の上野恩賜動物園である。園内で蝉がかしましく鳴きかわし、ますます暑苦しく思われた。 象の担当飼育員・菅谷吉一郎と渋谷信吉は...
青年は実家から下宿先に帰るために、緩い下りの道を急いでいた。汽車の時間に間に合うだろうか。実家は居心地がよく、ついついのんびりしてしまう。駅...
以前ベトナム大使館に行く用があって、そこに向かっていた。ふと、その道や風景に見覚えがあることに気づいた。 そうだ、この道の右手側の、一本か...
現代の子どもたちは実に清潔である。洟垂れ小僧も全く見かけなくなった。顔に斑のたむしや白癬の子も見かけなくなった。 冬、かつて子どもたちは手...
二十代半ばに会社を辞め、放浪の旅に出た。ちょうど八月の半ば過ぎであったように思う。高島埠頭からバイカル号に乗船し、ナホトカに上陸、夜行列車に...
子どもの頃、銚子に暮らしていた。 小学生一年生のときである。その日の授業の終わり間近に、空はにわかに曇り、黒く厚い雲に覆われた。風が起こり...
弘田龍太郎は高知県安芸郡土居村(安芸市)に、教育者の父・正郎、母・総野(房野)の間に生まれている。母の総野は一絃琴の名手であったという。龍太...
台所の戸口が開いて青年らしい大声がし、夫人を呼んだ。菊子夫人が急いで立って行った。夫人が居間の白秋にも聞こえるように、出版社の青年の名を告げ...
かつて高倉健主演の東映任侠映画に、「望郷子守歌」というのがあった。 オロロンオロロン オロロンバイ ねんねんねんねん ねんねんばい お...
留学生を含めて百七名の岩倉遣欧使節団が横浜港を発ったのは、陰暦の明治四年十一月十二日である。明治政府の中枢がそっくり留守にしたようなもので、...