猫だらけの横丁

江戸古典落語にはよく大家(おおや)が登場する。彼等は裏長屋を差配しているが、しかし家作の所有者ではない。たいていは表通りの大店の旦那やご隠居が所有者で、彼等から任されて店子から家賃を集金し、その面倒を見たりしている。空き部屋に入居希望者がいれば大家が面談する。怪しい奴や訳有りは大家の判断で断ることもある。入居希望者は桂庵(口入れ屋)からの紹介でも回ってくる。江戸の口入れ屋は働き口と同時に住まいも捜してくれたのだろう。
大家はときに店子に「大家と言えば親も同然、店子と言えば子も同然」と威張ったり、何かとその世話を焼くのである。住民どうしのくだらない揉め事を解決したり、長屋から咎人を出さないようにするためである。縄付きが出れば大家にも累が及ぶ。町奉行所から呼び出される者が出れば、大家も呼ばれ、一緒について行くのである。公事(くじ)にも関わり、それらの用事で出かけるとき、落語の大家は「婆さんや、羽織を出しとくれ。出かけるよ」と胸を張って言う。つまり正装して出かけるのである。だから結構大家は忙しい。

大家はふだん、町内の自身番に詰めていた。明治七年以降に設けられた交番は、江戸時代の辻番所と町々に設けられたこの自身番から着想したものであろう。江戸の自身番に詰めていたのは、土地(ところ)の岡っ引きの親分と、書役(かきやく)、大家である。彼等が土地の世話役なのである。これとは別に、町内の木戸の開け閉めをする木戸番というのもあり、ここに番太、番太郎と呼ばれる年寄りが居住していた。彼等の給金は町内の住民から集められたが、安いため、木戸番小屋(番太小屋)で生活小雑貨や駄菓子、玩具、草履や草鞋などを商うことを許されていた。それは町内のささやかなコンビニみたいなものであった。
浄瑠璃や歌舞伎、講談で町人社会を題材にしたものは「世話物」と呼ばれる。
厳密に言えば、大店の旦那やご隠居のような旦那衆(ブルジョワジー)が町人で、落語の熊さん、八っあん等はこれに入らない。しかるべき町人は自分の家屋敷を所有し、町政や公事に関わることができ、町年寄を選ぶ際は選挙権も被選挙権も持つ。熊さん八っあんにその権利はない。大家はプチブルである。
落語の大家には与太郎、熊さん、八っあんのような固有名詞がない。大家とご隠居は噺の主役にはなれず、物語の脇役、狂言回しに甘んずる。

しかし宇江佐真理の「深川にゃんにゃん横丁」喜兵衛店(きへえだな)の大家・徳兵衛は、物語の主役であり、また狂言回しも兼ねている。この六つの短編からなる時代小説「深川にゃんにゃん横丁」は、落語でいう人情噺で、ちょいとホロリとさせられる。この「ちょいホロ」がいい。
江戸の物語だが、派手なチャンバラや捕り物もなく、毎日すぐ目の前の木場から川並鳶が唄う仕事唄がのんびりと聞こえ、幅一間ばかりの狭い横丁のそこここで、野良猫たちが背伸びやあくびをし、香箱坐りをして寝ている。土地の人々はいつの頃からかその小路を「にゃんにゃん横丁」と呼んだ。この横丁で鼠の被害は滅多に聞かない。
この界隈周辺を縄張りにしている岡っ引きの岩蔵と、大家の徳兵衛、書役の富蔵はいつも一緒に自身番に詰めている。徳兵衛は五十五歳。八歳から佐賀町の干鰯問屋(ほしかといや)で真面目に働いて番頭になり、五十歳で店を退き、のんびり暮らそうと思っていたら、前の喜兵衛店の大家がぽっくりと死に、その後釜にと富蔵が名を挙げたのが徳兵衛だった。徳兵衛は何度も固辞したが、富蔵、徳兵衛と同い年で、幼なじみの女「おふよ」に脅されるように大家を引き受けさせられた。
この徳兵衛、おふよ、富蔵と、彼等より十歳ばかり若い岩蔵が、全編を通じて登場するのである。彼等をはじめ横丁の住民たちは猫好きが多く、お腹の大きくなった猫や子猫、病気になった猫を気遣う。徳兵衛、富蔵、岩蔵らが自身番や、おふよが暮らしの助けに夜働いている一膳飯屋の「こだるま」で、横丁の猫の話や住民たちの近況を何気なく話題にするのである。

最初の物語は「ちゃん」である。…喜兵衛店から咎人が出て、大番屋送りになってしまった。まだ二十五歳と若い泰蔵で、材木問屋の手代をしていた。罪状は「かどわかし」である。「かどわかし」は重罪だ。
しかし果たしてあれがかどわかしに当たるのだろうか。泰蔵が「連れ回した」娘は「おるり」といい、泰蔵が十八歳のときの実の娘なのである。その後女房が暮らしを助けるために飲み屋に働きに出て、泰蔵より十歳年上の客と懇ろになり、泰蔵と離縁し娘を連れてその客と夫婦になった。こうして泰蔵は彼等の住まいと遠く離れた深川の喜兵衛店に、口入れ屋の紹介で越してきたのであった。しかし娘と、別れた女房とその連れ合いも、知らず深川近くに越していた。
ある日泰蔵は空き地の前を通りかかって、そこでひとり遊んでいる娘に気づいた。娘も泰蔵に気づき「ちゃん!」と懐かしそうに縋りついてきた。泰蔵はもうたまらない。木戸番小屋の店に連れて行き、駄菓子やおもちゃを買って与えた。そして晦日に給金が入ったら、おるりに着物でも簪でも好きなものを買ってやると約束した。
晦日、おるりは母親に黙って約束の場所に来た。泰蔵は呉服屋と小間物屋で娘が好む品を買い与え、蕎麦屋に入った。こまっしゃくれた口を利くようになった娘が可愛くてたまらない。そのまま別れがたく、回向院広場の見世物小屋に行きたいと言うので連れて行った。小屋を出たとき辺りはとっぷりと暮れていた。その頃、元の女房は娘がいなくなったと自身番に訴え出ていた。娘の手を引いて歩いていた泰蔵は、かどわかしで岡っ引きに捕まった。実の娘だと訴えたが、元の女房は知らない男だと主張し、泰蔵は大番屋に送られた。…泰蔵の嫌疑を晴らすため、岩蔵、おふよ、徳兵衛らが動き、元の女房も泰蔵がおるりの父親だと認めた。…

自身番の外から「ごめん下さい。お頼みします」というか細い声がした。徳兵衛が油障子を開けると、そこにおるりが立っていた。「どうしたね」「大家さん。ちゃんが働いているお店を教えてください」…
この八歳の娘おるりが泣かせる。なんという親たちへの気遣い、なんという優しさ、なんという健気さ。「ちゃん」に引っ越しや奉公に出ることを告げ、ちゃんを励まし、ちゃんの身体を気遣い、ちゃんに後で読んでと手紙を渡す。
「それでね、大人になって、まだちゃんが独りでいたら、あたいと一緒に暮らそ? あたい、ちゃんの面倒を見るから」
「おいらはお前ぇの世話になんざならねェよ」
「強がり言って。ちゃんは、今は若いけど、その内に年寄りになるのよ。だから、あたいに任せて」…
「だけど、当分、ちゃんとは会えない。ちゃん、あたいのことは忘れないでね。あたいも決してちゃんのことは忘れないから」…
「ちゃん、元気でね。これで当分、さよならよ」…おるりの言葉に泰蔵は黙って咽び泣くばかりである。徳兵衛の目も潤む。
「さ、ぐずぐずしているとおっ母さんがいらない心配をする。あたい、これで帰るよ」
とおるりは泰蔵の手を優しく振り払う。何度か振り返って手を振ると、おるりは徳兵衛と一緒に歩き出した。店から離れた通りで、不意におるりは口元を掌で覆って泣き出した。…
この「ちゃん」のおるりは、平岩弓枝の名作「ちっちゃなかみさん」より泣かせる。涙腺の弱い方は「ちょいホロ」ではすまず、ポロポロと涙がこぼれ、本の活字も滲むだろう。
ちなみに、目の病気にかかった白い子猫を岩蔵親分が治療し、それを泰蔵が飼うことにした。泰蔵は白い子猫に「るり」と名付けた。るりは昼間、屋根の上で日向ぼっこしている。泰蔵は仕事から帰ると「おい、るり。いま帰ぇったよ、ご飯にしような」と話しかけるのだ。おふよによれば、るりは泰蔵に呼びかけられると「ちゃん」と小さな声で鳴くのだそうである。…

宇江佐真理「深川にゃんにゃん横丁」(新潮文庫)