渡り鳥を追う

イベントの長い待機時間を利用して、梨木香歩の「渡りの足跡」を読んだ。
その書き手について、私はほとんど知るところがない。数年前に「西の魔女が死んだ」という小説を読んだことがある。誇張のない、素直で静かな文体で、好もしい作品である。やがて、その作品が映像化されたものを見た。淡い陽光が人物と風景に、絹のソフトフォーカスをかけたようで、佐々木昭一郎の映像詩「四季・ユートピアノ」を思い出した。
その後、彼女の「家守奇譚」を読んだ。その時私は村上春樹の「東京奇譚集」も読んでいた。特に他意はない。飽きっぽく気移りしやすい私は、いつも同時期に数冊の本を併読しているのである。たまたま題名に「奇譚」と付く二つの作品を併読し終えて思った。村上奇譚に比し、梨木奇譚は面白く、数段上だ。ちなみに、私には内外での村上作品の高評価が全く理解できない。
「家守奇譚」は、夏目漱石の「夢十夜」を連想させる。二十八の物語られる幻想は、小さな庭の四季折々の植物から生み出されたものである。梨木香歩は、よほどに植物に詳しいものと思われた。犬も虫も河童も登場する。狐も狸も猿も幽霊も出る。その幻想譚の時代は、漱石が小説を書き始めた頃にあたる。
植物は移ろう季節を象徴する。虫も魚も鳥も…。そう言えば井上ひさしに「東慶寺花だより」という名作があった。そのうち読み直してみよう。

「渡りの足跡」は渡り鳥を追って内外を旅する梨木香歩のエッセイである。
彼女は鳥にもやたら詳しいのであった。バードウォッチングを趣味とし、庭にやってくる小さな渡り鳥の旅に想いを寄せる。その小さなトラベラーたちに感動し、高額の重いスコープを抱え、彼等が飛来する様を見に行き、その旅立ちを見送りに行く。また彼等が旅立ちを決意するときの、その心の内を忖度するのである。
梨木はさらに、シベリアやカムチャッカに、千島に、彼等が帰って行ったその地を見に行くのである。彼女は鳥たちの旅の足跡をたどる旅を続ける。梨木は命がけで海を渡る鳥たち一羽一羽の、強い意志と生命力と、その長い旅の冒険譚に耳を傾けたいのである。それを感じたいと願っているのである。彼女は筋金入りの、カヤックもやるナチュラリストなのであった。
この本の解説(野田研一)は、「渡りの足跡」を「ネイチャー・ライティング」の傑作と評価・位置づけている。そもそも私は、ネイチャー・ライティングという言葉を初めて知った。二十世紀初頭より使用されている言葉らしい。歳を重ねても知らないことばかりである。
そう言えば、十二年ほど前に「エコ・リテラシー」という言葉を初めて知った。しかもエコロジカル・リテラシー(ランダムハウス英和大辞典にも載っていない造語である)の日本的省略語である。
ちなみに私は七、八歳頃、そんな言葉は全く知らなかったが、エコロジカル・リテラシーの発達した子どもであった。お年玉としてもらった「少年朝日年鑑」の「製品のできるまで」というイラストを眺めながら、地球規模の環境汚染・環境破壊と公害が明瞭にイメージでき、それを予感していたからである(もちろんそんな語彙は知らなかった)。また水の循環や漠然とした自然摂理・宇宙摂理にも気づいていた。
その頃、家に分厚い百科事典のような北隆館の動物図鑑や植物図鑑があった。これで世界や日本の動物、鳥類、両生類、爬虫類などのことを知った。酷寒の樺太に、カラフトクサリヘビという毒蛇がいることも知った。見飽きないとても楽しい本だったのである(それにしても北隆館は、実に貴重な、日本が誇るべき出版社のひとつである)。植物にはあまり興味が無かったため、知識は身につかなかった。しかし当時住んでいた土地で、子どもたちは小さな花に指先を突っ込むという度胸試しの遊びをしていたが、それが牧野富太郎発見の食虫植物であることを知った。
兎獲りの罠をしかけ(そんなものに引っ掛かる間抜けな兎はいなかった)、大きな松の樹上のサギの巣を見上げ、雑木林をかき分け、麦藁帽子の上に落ちてきたヤマカガシに悲鳴をあげ、砂山にある急峻な窪地(まさに大きな蟻地獄)の「蝮池」と呼ばれる湿地に転げ落ちては恐怖に泣き叫び、畦道につながれた牛に威嚇され、農家の庭先で放し飼いされている豚に背後から突き倒され、小川のタナゴ、鮒やメダカを掬い、夜は蛍を追い、甲虫や鍬形虫を獲り、ときに玉虫も捕った。鼬が目の前を走り抜け、捕らえられた穴熊を見に行って牙をむかれた。河口に鯨の集団が大きな身を乗り上げ、鍋やボールを手にその解体見物に自転車を走らせた。町中どこの家もしばらくは鯨料理なのだ。…

エコ・リテラシーは十分発達したが、怠惰で億劫がりのため、ナチュラリストにはなれなかった。深田久弥の「日本百名山」や高田宏の「木に会う」に感銘を受けながら、沢登りや登山をすることもなく、自ら巨樹を探しに行くこともなかった。付近の公園を散策するさえ面倒くさい。
だいぶ以前、番組づくりのため野鳥カメラマンと共に、重い機材を持って、雪が残る一月下旬の里山の奥に入った。まだ夜明けにも間のある雑木林の斜面は、しんしんと足元から身体を冷やした。鳥は夜明けとともに活発に餌を探し回る。カメラマンは目当ての鳥を撮影するため、人ひとりがすっぽりと入る小型の保護色テントの中に身を隠し、何時間もその中で待機するのだった。自然カメラマンの忍耐力は凄いものだ。私にはとてもそんな忍耐力はない。…
父よ彼方は強かった 兜も焦がす炎熱を 敵の屍と共に寝て 泥水啜り草を噛み 荒れた山河を幾千里 善くこそ撃って下さった / 夫よ貴方は強かった 骨まで凍る酷寒を 背も届かぬ水路(クリーク)に 参日(みっか)も浸かって居たとやら 拾日(とをか)も食べずに居たとやら 善くこそ勝って下さった … 私はとてもそういう戦場に耐えられまい。それどころか、自然・野生動物カメラマンにも、登山家にもなれない、決してナチュラリストにはなれぬ惰弱な人間なのであった。

鳥たち一羽一羽と、心の内で対話する梨木香歩の文体は好もしい。
「クビワキンクロはきょとんとした涼しい顔をしている。餌くれるのかな、と近づいてくるハクチョウたちの向こうで此方を見ている。アリューシャンの海でも、千島の海でも、浮かんでみたの? 風は、どんな風だった? 心の奥で訊いてみる。」
また梨木による鳥たちの顔の表現が微笑ましい。
「ツノメドリは先端以外、鮮やかな黄色だが、ニシツノメドリは鮮やかさは同じでも、もう少し複雑な色構成である。パフィンの仲間は、オウムのように大きくカラフルな嘴と、どうにもこうにも困り果てた、というようなその表情が特徴的である。エトピリカは顔を白く横断するラインの延長線上に飾り羽がつき、それが後頭部で風に吹かれている。これも顔つきがよく似ているが、ツノメドリたちのそれがただひたすら困惑している、まいった、と言う風に読めるとすれば、エトピリカのそれはもう少しアグレッシヴで、はっきり迷惑しています、と断言しているようである。…こちらでできることがあるなら何かいたしますが、と思わず手を差し伸べたくなるような…、いつ見てもこういう深刻な顔つきで、空を飛び、海に潜り、子育てをしている。」
「知床で出会った、新潟で出会った、諏訪湖で、琵琶湖で出会った、あなた方が毎年早春、遥か彼方へ帰って行く、その翼が目指している場所の一つはここであったのか、と改めて感慨を深くする。こんな荒々しくもの寂しく、また潔く清々しい、鉛色をした北の海であったのか。」

鳥たちが渡る際の案内役は、太陽や星座の位置(夜目が利かないとされる鳥たちは、実のところ星座が見えると言うことなのだろうか。彼等は徹夜で飛び続けるのである。)が大きな役割を担うらしい。それが帰る季節や、フライウェイのコースを決めるのだろう。また旅立ちにあたり、風力や、風の向き、上昇気流などを待ち、その風・気流に上手く乗る機会を覗うらしい。
私はもうひとつ、彼等の旅立ちの時期やコースを決めるのは、「風の匂い」ではないかと思うのだ。鮭も生まれ故郷の川の匂いを知るという。また鳩は磁気コンパスを持つという。他の渡りの鳥たちも、同様に磁気を感知しているのではあるまいか。

梨木香歩「渡りの足跡」(新潮文庫)