理想の文体とは、人それぞれの性格や生理、学殖によって異なるものだろう。高校生の頃、私の理想の文体は三島由紀夫の「海と夕焼け」や、堀辰雄の「ルウベンスの偽画」だった。特に堀の「死があたかも一つの季節を開いたかのようだった」という書き出しで始まる「聖家族」が好きだった。その作品は芥川龍之介の死を契機に書かれたものである。
後、三島の「仮面の告白」や「午後の曳航」に惹かれた。さらに中島敦の「李陵」「光と風と夢」などの、格調とリズムと美しく簡潔な文体を理想とするようになった。しかし中島のような深い漢文の素養もない私には、憧憬するのみで決して書けない文体なのである。ちなみに山岳紀行のエッセイで知られる深田久弥の「日本百名山」も、実に理知的にして簡潔な文体で、見事というしかない。深田久弥は中島敦の親友だったという。
一方私は井原西鶴や野坂昭如のような読点の少ない長いセンテンスの文体も好きなのである。特に野坂の「骨餓身峠死人葛」の美しさはどうだろう。私の中では間違いなく日本文学の最も美しい作品の一つなのだ。読点の少ない長い文体と言えば童話作家の新美南吉もそうである。「語り部」の文体なのだ。
この「虹の橋文芸サロン」では、動物がらみの作品をエッセイ風に紹介している。書くネタはいくらでもある。谷崎潤一郎の「猫と庄三と二人のをんな」も考えたが、主人公の怠惰で惰弱で優柔不断な性格が大嫌いで、やめることにした。ジャック・ロンドンも考えたが、あまりにも高名な動物文学なので私の手に余り、やめることにした。またヘミングウェイの「アフリカの緑の丘」や、「死を前にした優雅さ」と書かれた闘牛論「午後の死」もあるが、あえて出し惜しみをして、別の機会としたい。
私の理想的文体である中島敦の「山月記」は、人が人食い虎に変じる話である。虎と月は屈折した詩人の業、傲慢な自尊心と劣等感、敗北感と狂気の象徴である。これも出し惜しみしたい。
かつて渋谷常磐松の、私の会社が入っていた建物の右隣に、切妻の小屋根を持った小さな門があった。その品の良い格子戸はいつも閉まっていた。格子戸越しに見ると門から両側に紫陽花や八つ手、万両のような低木に挟まれた細い石畳が長く奥まで続いており、突き当たりがその家の玄関のようであった。門柱に「志賀」の表札がひっそりと掛かっていた。事務所の吹き抜け側の窓を開けるとブロック塀の向こうに古い木造和風の二階家があった。
あるとき建物のオーナーからその家に志賀直哉が住んでいたことを聞いた。戦後すぐに越して来、亡くなるまで住んでいたという。オーナーの少年時代の思い出によれば、いつも不機嫌そうな顔をして、着物姿で杖をつき、ゆっくりした歩様で散歩している姿をよく見かけたらしい。事務所の隣家が志賀直哉邸だと知ってから、彼は身近な存在に感じられるようになった。
そこで今回は、これも見事に簡潔な文体で知られる志賀直哉を取り上げたい。彼の「暗夜行路」「和解」等は重く、あまり好きになれない。しかし「赤西蠣太」をはじめ短編は別である。彼の短編に「転生」という作品がある。
気の利かない細君を持った男がいた。彼は細君を愛してはいたが、その気の利かないことに腹を立て、いつも癇癪を起こし不機嫌で、意地の悪い叱言を吐いて細君を悲しませた。
「貴方は私のような気の利かない奥さんをお貰いになって、心では後悔していらっしゃるでしょう?」「うん。後悔している」…細君は泣いた。
また家に来る女中、来る女中、皆気が利かなかった。する事全てが彼の思う壺を外れた。彼は不機嫌となり、苛々した。
「家中が馬鹿さの埃で一杯だ。目も口も開いてられやしない」と、自分が浅ましくなるほど癇癪を起こし、怒鳴り散らした。子どもの頃から寝起きが悪く、よく朝飯の食卓で癇癪を起こした。
夫が珍しく機嫌の良いとき、夫人は笑いながらこんなことを言った。
「つまり貴方があんまりお利口すぎるのね」「お前が馬鹿すぎるんだよ」「そう? そんなら私も今度はできるだけ利口に生まれてきますからね、貴方ももう少し馬鹿に生まれて来てちょうだいよ。釣り合いがとれないからね」「人間に生まれて来たんじゃあ、いつまで経っても同じ事だよ」「人間でなく、何がいいの?」「豚かね?」「貴方さえおつき会い下さるなら…」「豚は御免こうむろう」
「一番夫婦仲のいい動物は何なの?」「何かな。狐なんかいいという事だ。樺太の養狐場の話でそんな事を読んだことがある。しかも厳格に一夫一婦制だそうだ」「感心ですわね。大変いい事ですわ」
夫が言った。「狐も俺は嫌だよ」「それじゃあ何がいいの? 他に夫婦仲のいい動物あって?」「鴛鴦(おしどり)かな?」「鴛鴦は綺麗でいいわ」「ふん、ただし綺麗なのは雄だけだが、それでもいいかね?」「結構ですわ。それじゃあそういう事に今からお約束しておきますよ。忘れちゃあいけませんよ」「忘れるのはお前だ。間違えて家鴨なぞに生まれて来ると取り返しがつかないよ」「まさか」「まさかなものか。ありがちな事だ」
何十年か経ち、この男は細君に口やかましく叱言を言い続け、癇癪を起こし続けたあげく、めでたく死んでしまった。細君はほっともしたが、もう叱言も聞けないのかと淋しい気持ちにもなった。しかし死ぬさえ忘れたかのように気楽にしばらく生きていた。
死んだ夫は約束通り鴛鴦に生まれ変わって、細君の死ぬのを待っていた。彼は一緒に外出するおり、よく門の外でながく待たされた事などを憶い出していた。「まったく何を愚図愚図しているんだ!」
やがて細君のほうもとうとう死んだ。そしていよいよ生まれ変わる時が来た。何に生まれ変わるのだったかしら? 鴛鴦だったかしら、狐だったかしら、豚だったかしらと考えた。豚でない事は確かに思えたが、鴛鴦か狐か分からなくなった。
夫人は昔夫が口癖のように言っていたことを思い出した。「迷う二つの場合があると、お前は必ずいけない方を選ぶ。たまにはまぐれでもいい方を選びそうなものだが、宿命的に間違いを選ぶのは実に不思議だよ」
細君は鴛鴦だったように思ったが、そこに宿命の落し穴があるに違いない。
そう考えて狐に生まれ変わった。
こうして女狐は森から森、山から山と夫を尋ね歩いたが、出会うことができなかった。すでに三日も餌にありつけず、疲労困憊しほとんど昏倒するばかりだった。遙か下の方に水の流れる音がしたので、せめて水を飲んで一時をしのごうと、よろよろと降りて行った。
夫の鴛鴦は、清い渓流に独り淋しく暮らしていた。彼は石の上に片足で立ちながら、うつらうつらしていたが、ふと近づくものの気配に驚き飛び立とうとした。が、それが待ちに待った細君だと気づくと二度吃驚し、思わず叫んで、その傍らに飛んで行った。
女狐も驚いた、しかし余りの喜びと空腹から、彼女はそのまま這いつくばってしまった。さて、両方で顔を突き合わせて、初めてその大変な間違いに驚き呆れた。夫はすぐ持ち前の癇癪を起こし怒鳴り出した。「何という馬鹿だ!」
女狐は泣く泣く自分の思い違いを詫びた。夫の鴛鴦は頭の毛を逆立て、羽ばたきしながら怒っている。女狐は詫びに詫びたが、空き腹と疲労から意識も絶え絶えとなり、言葉さえ出なくなった。目の前で怒鳴り散らしているのは夫には違いなかったが、意識がぼんやりして来ると、それ以上にこの上ない餌食に見えて仕方なかった。これは餌ではない夫だと我慢していたのだが、夫の叱言はあまりに執拗かった。女狐は一声何か狐の声で叫ぶと、不意に鴛鴦に飛びかかり、たちまちこれを食い尽くしてしまった。
「叱言の報いという教訓だな」と先生は言った。「それは口やかましい夫に対する教訓なのですか?」と編集者が尋ねた。「まあ、そうだな」と先生は言った。「これは先生のご家庭がモデルなのですか?」「失敬な!」と先生は、急にいつものように不機嫌になった。
志賀直哉「清兵衛と瓢箪」(角川文庫)