大人になるということ

1972年、ロバート・ニュートン・ペックの処女作「豚の死なない日」は、発表されるとたちまち全米の話題となった。作品は何の衒いも外連味もなく、十二歳の主人公の語り口は、その幼さからくる微笑ましいユーモアを醸し、素直で質朴である。そして…切ない。  この小説には二つのエピグラムが掲げられている。

父、ヘイヴン・ペックに……
父は寡黙で穏やかで
豚を殺すのが仕事だった

農夫の心はウサギの心のようにやさしい。
農夫の目は青い。
しかし農夫の目はワシのように鋭く
人の心を見抜く。

「豚の死なない日」はロバート・ペックの半自伝なのだ。カルヴァン・クーリッジが二期目の大統領だった頃、ヴァーモント州の小さな田舎町ラーニングで、貧しいシェーカー教徒の家に生まれた。
父は、あと五年も地代を払い続ければ自分の物となる5エーカーばかりの土地を耕し、牛と鶏を飼い、豚の屠畜場で働いていた。彼は文盲だった。しかし幼いときから聞かされ教えられてきた「シェーカーの書」を諳んじ、そこから尽きぬ知恵を汲み、厳格に人生の指針とし、自然の中で逞しく生きる術を学び、それを文化や伝統として息子に伝えようとした。
つましい生き方を選び、俗世間の人間のように、あれが欲しい、これがないと悩むこともなく悲しくもない。互いに守るべき人がいて、耕すべき土地がある。欲しいものは自ら作り、日が沈むのを見れば目頭を熱くさせ、風の音に耳を傾ければ音楽だって聴こえる。草はミルクになり、トウモロコシは豚になる。だから「質実の民」は貧しくはない、「豊かなのだ」と息子に教えるのである。
そう言えば、童謡の伝道師グレッグ・アーウィンのエッセイに、シェーカーの古い歌の引用があった。「それは素朴な贈り物 それは自由という贈り物…」

ロバート少年は学校で同級生にシェーカー教徒であることを馬鹿にされ、相手に向かっていかずに教室を逃げ出した。家までの帰り道の途中、「よき隣人」であるタナーさん自慢のでっかい牝牛に出会った。この夏のラトランドの品評会に出すと聞いている。牝牛は苦しそうに喘ぎ、すごい声で鳴いていた。その尻から血と羊水に濡れた仔牛の頭と蹄が一つのぞいている。これは大変だ。
ここから少年が取った行動がすごい。仔牛の頭をつかんで引っ張り出そうとするが、ぬるぬる滑ってトゲだらけの茂みに尻餅をつく。彼はズボンを脱ぎ、その片方を仔牛の首に巻き付け引っ張り出そうとするがうまくいかない。牝牛は暴れ彼を引きずったまま走り出す。悪戦苦闘、どさっと仔牛が彼の上に落ちた。牝牛の喉に何かが詰まっているらしく、とても息が苦しげだ。少年は牝牛の口に手を突っ込んで激しく咬まれ、やがて気を失ってしまう。…こうして彼はほとんど裸で、傷だらけの血まみれ、泥まみれで発見されたのだ。
タナーさんの牝牛は双子の仔牛を無事産み落とした。少年は一週間寝たきりだった。その怪我が癒えて歩けるようになった時、タナーさんは彼にお礼として可愛い子豚を贈った。なんてきれいな子豚だろう。「どんな犬も、猫も、ニワトリも、魚も、ヴァーモント州の、ラーニングの町の、どんな生き物もかなわない。この子は頭からしっぽの先まで真っ白だ。ちょっとだけピンクのところがあって、それがうっとりするくらいかわいい。」
その牝の子豚はピンキーと名付けられ、あっという間に少年になついた。彼の後について回り、甘えて足元にまといついてくるのだ。子豚と少年はいつも一緒に野原や林や小川を散歩した。ピンキーは烏に脅されて彼の後ろに隠れ、カエルといつまでも遊び、ザリガニのハサミに鼻を挟まれて鳴き喚き、鷹のウサギ狩りを目撃して共に眼を丸くした。
タナー夫妻はロバートとピンキーをラトランドの牛の品評会に同道させてくれた。ラトランドは人が溢れ、ロンドンもこれほど大きくも賑やかでもあるまいと思われた(父はまだラトランドに行ったこともないのだ)。でもその頃ラトランドは、人口一万人ばかりの小さな田舎町に過ぎなかった。
品評会でロバートは双子の仔牛を引いて会場を三回まわった。それが終わると野外会場で子どもたちと子豚の品評会に出た。ピンキーは「しつけのいい豚・一等賞」のブルーリボン賞をもらった。 父のヘイヴン・ペックは自分の死期を自覚していた。胸を患っていたのである。この冬が自分にとって最後の冬になるだろう。ロバート、すぐに一人前にならなくては。今年の冬のあいだに大人になるんだ。うちにはもう、おまえしかいないんだ。真実から目をそむけるな、おまえはもう子どもではいられないんだ。春がきたら、おまえはもう男の子じゃない。一人前の男になるんだ。十三歳の大人だ。姉さんたちは嫁に行った。二人の兄さんは早くに亡くなって、この土地に眠っている。お母さんや、伯母さんを守るのは、おまえしかいないんだ。…彼は息子に言い聞かせた。
子豚の成長は早い。あっという間に七十キロになり、さらにその倍近くなる。十月が過ぎ、やがて繁殖期の十一月が来た。父は毎日ピンキーを入念に調べる。しかしピンキーにはその兆候が見られない。
リンゴは不作だった。冬に備えて食糧庫にしまい込んだものも、小さく虫食いが多かった。今年はパイを食べられないだろう。父のヘイヴンは毎朝暗いうちから狩猟に出かけたが、とうとう鹿を仕留めることができなかった。この冬は、厳しいものになるだろう。
ピンキーにタナーさん自慢の大きな種豚を交尾させたが、子どもはとうとうできなかった。ピンキーは繁殖用に向かなかったのだろう。
十二月、土曜の暗い朝であった。学校は休みで、少年はいつもの仕事を終えて朝食をとったが、何を口に入れても味がなく、飲み込むこともできなかった。やがて父が「ロバート、やるぞ」と言った。何をやるのか聞かなくてもわかっていた。二人は昨夜のうちに二、三センチも雪が積もった外に出た。
父が道具をそろえた。少年はピンキーのところへ行き「おいで、ピンキー、朝だよ」となるべく明るい声で呼ぼうとした。でも喉が詰まって声が出ない。ピンキーは彼の脚に鼻面をこすりつけ、小さなしっぽを振って喜びを表した。
「手伝え、ロバート。やるぞ」「父さん、ぼくできないよ」「できるできないの問題じゃない。ロバート、やらなければならないんだ」 ……
「ああ、父さん。胸がつぶれそうだよ」「わしもだ。だが、よくやった。おまえはもう一人前だ」
その場に泣き崩れた息子を父親は泣きたいだけ泣かせてくれた。「これが大人になるということだ」と、ヘイヴンの大きな手が少年の顔に優しく触れた。 年を越した二月、少年は十三歳になった。五月に父が死んだ。葬儀の日、隣人や親戚たちがやって来た。タナー夫妻がペック家の新しい家長に言った。「ロバート。わしの名はベンジャミンだ。親しい人間はそう呼ぶ。友だち同士だ。名前で呼びあおうじゃないか」「あたしはベス。これからはそう呼んでね」
屠畜場の父の雇い主や一緒に働いていた男たちもやって来た。ラーニングの豚も今日は死なない。喪主のロバートが集まった人々に挨拶した。「ヘイヴン・ペックは…献身的な夫であり、父であり、勤勉な農夫であり、よき隣人でありました。妻にも、四人の娘にも、この世に残っているただひとりの息子にも愛されていました。故人の家族であったことはわたしたちの全員の喜びであります。どうか故人の魂が天国に召され、永遠にその住人になりますように」…しっかりとした大人の挨拶だった。
この本を少年少女たちに読ませたい。生きるということは、厳しく、大人になるということは、ときに…切ない。

ロバート・ニュートン・ペック「豚の死なない日」
(金原瑞人訳 白水Uブックス)