かつて天才エリモジョージの鞍上で、池添兼雄騎手が手綱を取っていたことがある。彼は十二回騎乗したが、調整のため出走した地味なオープン戦を一勝したのみであった。池添兼雄はエリモジョージを管理していた大久保正陽厩舎の所属騎手だったのだ。この厩舎の主戦騎手は松田幸春で、数多くのエリモの馬に乗り、重賞レースで活躍した。松田もエリモジョージに何度か騎乗している。
しかしエリモジョージの天才を引き出したのは、天才と呼ばれた福永洋一騎手であった。鞍上に彼を迎えたシンザン記念で初重賞勝ち、古馬となって水の浮く不良馬場の天皇賞をミズスマシのようにスイスイと逃げ切った。小柄で細身の馬体に60キロの負担重量を課せられた函館記念では、大逃げを打って大差のレコードで圧勝。京都記念でも61キロを背負って再びレコードで大差の逃げ切り勝ち。その後一年間を凡走し続けたが、再びの圧巻は60キロを背負った京都記念を4馬身差、62キロ背負った鳴尾記念を大差、宝塚記念を4馬身差と、三連続の圧勝劇だった。
稀代の癖馬と言ってよい。彼には負担重量は関係なく、逃げのペースも関係ない。ただ気分良く走れば、異常な規格外の能力を発揮するのだった。
天才と狂気は紙一重だ。気性難の馬、癖馬とは、狂気を持った馬と言ってよい。以前も書いたが、もしカツラノハイセイコに騎手を恐ろしがらせた気性難や狂気がなければ、彼はダービーも天皇賞も勝てなかっただろう。またもし彼が従順で大人しい馬であったなら、有馬記念も宝塚記念も勝っていたかも知れない。あるいは凡庸な未勝利馬で終わったかも知れない。エリモジョージも癖のない大人しい馬だったら、未勝利馬で終わったのではなかろうか。もしくは、史上最強馬になっていたかも知れない。
稀代の癖馬エリモジョージの手綱を取った池添兼雄は、二流騎手のまま引退し、調教師に転じた。彼の息子、池添謙一は騎手となった。彼は地味な父とは異なり、天性の明るさで騎乗パフォーマンスを見せて目立ち、最多勝利新人騎手にも輝いた。また坂口正大師、鶴留明雄師、角居勝彦師、池江泰寿師などの有力調教師や有力馬主に可愛がられ、社台系の有力馬に数多く騎乗する機会を得、デュラルダル、スィープトウショウ、トールポビー、ドリームジャニー等で大レースを 勝った。謙一は、すっかり一流騎手の仲間入りをしたのである。
そして稀代の癖馬オルフェーヴルとコンビを組んだ。オルフェーヴルは三冠を取り、謙一は史上最年少三冠騎手となった。彼らは有馬記念も勝った。
デビュー戦でオルフェーヴルはゴール後に池添騎手を振り落として放馬。圧勝した菊花賞でもゴール後に外ラチに向かって逸走。そして今年の阪神大賞典では、一度先頭に立つや、池添謙一騎手は彼の制御不能に陥いり、そのまま外ラチに向かって逸走した。からくも制御したときは急減速して、馬群の最後方に落ちていた。そこから再び追い込んだが、ギュスターヴクライの2着に敗れた。確かにバケモノじみた規格外の馬である。しかしこの逸走癖は父親のステイゴールドそっくりなのだ。
昔、チドリジョーという牝馬がいた。チドリジョーの父はハードリドンで、英国ダービーと2000ギニーを勝った名馬だが、非常に気性の悪い血統として知られていた。彼は日本でもダービー馬ロングエースやオークス馬リニアクイン等の、能力の高い、気性難の馬を輩出した。
さてチドリジョーは、ゲートが開くとその絶対的スピードで先頭に立つものの、コーナーをうまく回りきれず外ラチに向かって逸走し、危うく激突を免れるも馬群の最後方に落ち、そこから再び先頭に並びかけて、次のコーナーで再び逸走して最後方に落ち…直線ではまたまた先頭に立ち、しかも数馬身差をつけて圧勝した。レース後は出走停止と再調教、再試験を課せられた。こんなレースを度々繰り返したため、彼女は桜花賞にもオークスにも無縁だった。しかしチドリジョーは、もしまともに走ったら当時の最強牝馬ではなかったか。彼女は規格外の異常な能力の持ち主だったのだ。
古馬になり、長期休養明けで再び競馬場に戻ってきたチドリジョーは、ふっくらとどこか女っぽくお淑やかになって、あの血走った目も凄みも影を潜めたが、もはや勝つこともなく引退した。彼女について寺山修司は「狂女チドリジョー」という好エッセイを書いている。
ところで、かの最強馬ディープインパクトを有馬記念で負かしたのは、いつも最後方から行くという不器用な脚質のため(常に展開に左右されて)大レースでは無冠だったハーツクライだった。その子のウインバリアシオンは、オルフェーヴルにダービー、神戸新聞杯、菊花賞と2着に甘んじ続けた。よく似た親子である。
阪神大賞典で独り相撲を取った最強馬オルフェーヴルだが、彼を負かしたギュスターヴクライも、ハーツクライの子であった。そもそも私はこういう物語が好きなのである。
(この一文は2012年4月16日に書かれたものです。)