鈴木一朗はドラフト4位でオリックスブルーウェーブに入団した。彼の獲得を狙っていたのはオリックスだけだった。高校時代は三塁手と投手で、三年間の通算打率が5割超、盗塁130超、球速は140キロ台半ばであった。それらを考えれば低すぎる評価に思える。身長は180センチあったが見た目に線が細く、非力に思われたのだろう。
球団は彼を打者として採用した。独特の癖のあるフォームながら打撃センスは良く、バットコントロールも巧みだった。しかし土井正三監督や山内一弘打撃コーチ等は正統な打撃理論でフォームを改造させようとした。一朗はそれを受け入れず、自身のフォームに固執した。一朗は一軍に定着できず、主に二軍で過ごした。次の年も一軍に定着できなかったが、二軍の河村打撃コーチと共に自身が固執した打撃フォームをさらに磨き、その進化に取り組んだ。
三年目に仰木彬が監督に就任した。彼は古典的打撃理論とはかけ離れた一朗のフォーム、打撃センス、並外れた動体視力、全体のリズム感、守備の上手さ、俊足、肩の強さに瞠目した。仰木監督は彼をイチローとして選手登録し、一軍に上げた。イチローはヒットを量産し始め、彼の映像がテレビに頻出するようになった。
バントヒット、半ば走り出しながらの片手撃ちヒット等、面白いように出塁し、盗塁する。見ようによってはセコいヒットである。私はこのような打者に既視感があった。誰だったろう? そうだ水島新司の名作漫画「ドカベン」の団子っ鼻、出っ歯、チビ(これは差別用語に当たるだろうか)の殿馬である。
「ドカベン」には主人公の山田太郎を凌ぐ天才キャラが二人いる。岩鬼と殿馬だ。殿馬はチームで一番身体が小さい。絵では岩鬼の半分もなく非力に見える。俊敏な天才的内野手である。守備でも打席でも彼の周りに音符が描かれる。類稀な音感とリズム感を持つピアノの天才なのだ。撃つ瞬間、彼の身体は宙に浮いている。秘打白鳥の湖、秘打花のワルツ…ズンヅラヅラ、ズンヅラヨ〜というリズム打法で、高い出塁率を誇る。
イチローの自らの身体能力にあった独特の打法は、この殿馬をヒントにして編み出したものではなかったか。周囲は「振り子打法」と呼んだ。
イチローのヒッティングゾーンはかなり広い。彼にはストライクゾーンを外れた悪球も好球なのだ(悪球打ちは岩鬼の代名詞だ)。ワンバウンドの球にも手を出し、ヒットにしてしまう。だから三振、四球が極端に少ない。類稀な動体視力でボールをとらえ、これも類稀なバットコントロールで右、左、中、内、外、野手の間へと落とす。彼は全体の視野が広いのだ。
天才殿馬も全体の視野が広く沈着冷静である。これと、天才イチローが言う「ボールを点、線ではなく、立体的にとらえる」は、どこか宮本武蔵の「五輪の書」に通じるものがある。