安田伊佐夫

ワンセグ携帯電話に「元JRA騎手に有罪判決」というニュースが流れた。元JRA騎手とは、多くのファンが「ヤスヤス」と呼んだ安田康彦のことである。
安田は昨年春、突然引退し、その後行方不明になったと言われていた。それが今年の初秋、京都市内のコンビニ店で店員に難癖をつけ、「殺すぞ」と恐喝し、五千円未満の商品を奪ったとして逮捕されたのである。そして今日、京都地裁で懲役2年、執行猶予3年の刑が言い渡されたのである。

安田康彦は下手な騎手ではなかった。秋華賞や宝塚記念も制している。またよく重賞レースで人気薄の馬に騎乗し大穴を開けた。穴狙いのファンには「穴のヤスヤス」が乗る馬は、目が離せないのであった。
かつて関東に「穴の安田」「大穴トミー」「泥棒ジョッキー」と異名をとった安田富男がいた。実に愛すべき男で、多くの競馬ファンは「富男」と気安く呼んでいた。名騎手で名伯楽だった故野平祐二は、この富男を「本当に天才だと思ったのは富男だけです」と評していた。安田富男の天衣無縫の数々のエピソードは、また一篇の物語になるだろう。

安田康彦の父は、この富男ではない。康彦の父は安田伊佐夫という、一頭の狂気の名馬で頂点に登りつめたジョッキーだった。その馬の名をタニノムーティエという。
彼、タニノムーティエが皐月賞、ダービーを勝った頃、私は競馬の興奮に惹かれていったのである。それはスタンドの大歓声と、二十数頭の馬たちが疾駆して 轟かす地響きと、「…アローとムーティエがまたやった! アロー! ムーティエ! アロー! ムーティエ! やっぱりムーティエだっ!! ムーティエが強い!!」という絶叫アナウンスがかき立てた興奮である。
この時のアナウンサーについては、以前「ガナリのとっつぁん」として既に書いた。「ガナリのとっつぁん」とは、競馬の名実況で知られたラジオ関東の窪田康夫のことである。

西のタニノムーティエは東のアローエクスプレスと、トライアルレースを含めダービーまで一騎打ちの死闘を続け、春のクラシックレースである皐月賞、ダービーを制覇した。そのムーティエの鞍上が安田伊佐夫だったのである。

安田伊佐夫は引退後に調教師となった。そして91年に息子である康彦が騎手としてデビューした。康彦は父譲りの騎乗センス、度胸などを期待され、それなりの活躍をしてきた。大レースで大穴を出し、インタビューでは笑顔で人気馬を負かしたことを詫びた。しかし素行の悪さがちょくちょくと噂にのぼった。酒に酔いつぶれ調教をさぼったり、酔った状態で調教に出たり、多くの厩舎とトラブルを起こした。
2000年の札幌の夏競馬の終わる頃、札幌市内を酒気を帯びた危険運転とスピード違反で現行犯逮捕された。2ヶ月間の騎乗停止処分を受けて、その後の天皇賞騎乗等を棒に振った。康彦はその後、次々と有力なお手馬を降ろされ、騎乗数が激減していった。父の伊佐夫も自厩舎の馬に息子を騎乗させなくなった。康彦はますます酒に溺れ、その素行は荒む一方だったようである。馬主も他厩舎の調教師も、そしてついに父も彼を見放した。

康彦の突然の引退はファンを驚かせた。引退届は父の伊佐夫が出したそうである。こうして康彦は消えた。行方も知れぬようになったらしい。
康彦が京都府警に逮捕された時、父伊佐夫は記者たちに「すでに勘当し、親子の縁を切っております」と答えた。
悲しい父子である。伊佐夫は泣いていたのだろう。そして康彦も泣いていたのだろう。

「アローとムーティエがまたやった! アロー! ムーティエ! アロー!ムーティエ! やっぱりムーティエだっ!! ムーティエが強い!!」
私はアローエクスプレスとタニノムーティエのあの激闘を忘れない。そしてタニノムーティエに跨った、青年安田伊佐夫の、あの颯爽とした騎乗姿を忘れない。

(この一文は2007年12月20日に書かれたものです。)