とりとめもなく、日本…

かつて永井荷風、谷崎潤一郎、堀辰雄らの文学者たちは、日本回帰をした。
荷風は落語や歌舞伎に夢中になる傍ら、フランス語を学び、やがて遊学し「あめりか物語」「ふらんす物語」等を書いた。しかし日本人の無批判的な西洋の受容や、薄っぺらな受け売りに嫌気が差し、さらに大逆事件に接して自分の無力、勇気の無さから戯作者を決意した。荷風は江戸趣味、三味線の音色が聞こえる下町の紅灯に溺れるように身を置き、偏奇館と名付けた木造洋館や断腸亭と名付けた家に住み、断腸亭主人を名乗って、「つゆのあとさき」「墨東綺譚」「浮沈」「踊子」等を書いた。
谷崎潤一郎はモダンな作風から出発した。「痴人の愛」の主人公の名は譲治(ジョージ)という外国人のような名前を持ち、またナオミというハイカラな名前で、まるで混血児のような美少女なのである。潤一郎はやがて「春琴抄」「武州公秘話」や、評論「陰翳礼賛」を書き、戦中から「細雪」を書き始めた。
堀辰雄はフランス文学のラディゲ、プルースト、コクトー、モーリアック等の影響を受け、瀟洒で透明な文章を作り上げた。恋人も妻も自身も胸を病み、軽井沢などの白いサナトリウムを舞台とした小説を書いた。「ルウベンスの偽画」「風立ちぬ」「麦藁帽子」「美しい村」…。やがて日本の古典文学を題材にした「かげろふの日記」「曠野」を書き、さらに「大和路・信濃路」という名文を著した。彼等は日本の粋、陰翳の美に目覚め、日本回帰していったのである。

東京オリンピック誘致の際の「お・も・て・な・し」はキーワードとなっている。オリンピック開催決定と、ほぼ時を同じくして和食、和紙もユネスコの無形文化遺産への登録が決まった。以降、日本の美、日本の自然、日本の伝統文化、伝統技術や、最新最先端の技術、その活用、運営、運用、運行システム等の礼賛番組が増えている様に思われる。
以前からやっている「和風総本舗」は先見の明があり、日本の伝統、文化、技術礼賛番組では老舗である。「BSにっぽんプレミアム」「所さんのニッポンの出番!」や、日本の最新技術ときめ細かなシステムを取り上げる「世界が驚いたニッポン!スゴ~イデスネ!!視察団」等がある。他にも来日ガイジンへの取材番組も増えている。彼等は日本人が意識もしなかった日本の魅力を縷々(カタコトで訥々と)語るのである。
これらの番組を見れば、日本も大したものだと見直し、少しは日本に自信が持て、誇りにも思う。それはそれでまことに結構である。しかしまた、何となく居心地の悪いある種の危惧や、過剰な自信や傲慢なナショナリズムへつながるような気味の悪さもある。これは表層的なブームではないのか、日本の伝統、文化、技術、心象や、その歴史や民族的な性向や社会の宿痾も含めて、深く語る人はいないものか。実はたくさんいるのである。

例えば加藤周一。彼は文学・社会評論家であり、医学博士で哲学者だった。青年期を嵐のような狂信的日本主義の時代の中に過ごし、後に日本文化の雑種性、外国観、死生観を論じ、古典文学を論じた。フランス語、ドイツ語、英語に堪能な国際的知識人でありながら、日本の小学生からの英語教育に強く反対した。「先ずしっかりとやるべきは、母語である日本語教育である」
外国人の論者では、例えばアレックス・カー。日本の書、生け花、古民家などを愛する一方、それら伝統文化を平気で棄てて踏みにじる日本に心を痛めて「美しき日本の残像」を書き、「鬼と犬」で日本に絶望しながら、「日本ブランド」を勧めている。
例えば、ロビン・ギル。彼は三十年前来日し、みごとな日本語で「反日本人論」を書いた。この青年(当時)は、日本人が大好きな「日本人論」の蒙昧を吹き飛ばしたのである。「西洋が近代なのではない。西洋人も近代人になったのである。キリスト教もスケベだった。アメリカ人のほうが島国根性である。砂漠の民は日本人と正反対ではない。「甘えの構造」はアラブ人にもある。日本人の前に人間という生物だ…」
例えば評論家、演劇研究者、哲学者の金両基。彼は東京生まれの在日韓国人である。カリフォルニア・インタナショナル大学教授を経て、日韓の大学で教鞭をとり、「能面のような日本人」を書いた。共著に「海峡は越えられるか」(櫻井よし子)、「日韓いがみ合いの精神分析」(岸田秀)がある。
例えば韓国の梨花女子大学教授で文芸評論家の李御寧。「『縮み』志向の日本人」「俳句で日本を読む」「ふろしき文化のポストモダン」「蛙はなぜ古池に飛びこんだか」等を書いた。…これらの書物は膨大な数にのぼり、いちいち挙げるのは不可能に近い。

1878年(明治11年)、ハーバード大学の掲示板に一枚の求人情報が貼り出された。日本の帝国大学で教鞭を執るエドワード・モースという人が募集したものである。アーネスト・フェノロサという青年がそれに応じた。来日した彼はどこか騒然とした日本を見た。前年に西南戦争という内戦が終結し、彼が来日する二ヶ月ほど前に大久保利通が暗殺されたからである。彼は秋から帝大で哲学や経済学を教え始めた。
美術に関心の高かったフェノロサは、仏像、浮世絵、寺院や城などの壮大な建築物から小さな庵、庭園、屋根の甍、花生け用の竹籠や茶道具、飾り物などの工芸品など、様々な日本美術の美しさに心を奪われたのである。
「日本では全国民が美的感覚を持ち、庭園の庵や置き物、日常用品、枝に止まる小鳥にも美を見出し、最下層の労働者さえ山水を愛で花を摘む」と記した。彼は全国の古寺を旅し、また古美術品の収集や研究を始めた。ほどなく彼は強い衝撃を受ける。
日本人は盲目的に西洋文明を崇拝し、憧れる芸術は海外の絵画や彫刻であり、日本政府は西洋化と近代化を急ぐ一方で、近代天皇制の権威確立のために廃仏毀釈に走っていた。仏像や仏画など、仏教に関するものは政府の圧力で破棄されていた。この愚かな弾圧は八年間続いた。
大寺院は寺領を没収されて経済的危機に陥り、寺宝を安値で手放さざるを得なかった。地方の役人は出世のために廃寺の数を競い、その手柄を得意げに中央政府に報告した。役人が見守る中、僧侶が仏像を頭から叩き割らされ、焼却を強要された例もある。奈良の興福寺では寺領の没収と同時に僧は神官に転職させられ、戦国時代の兵火から再建された伽藍を再び破壊し、三重塔や五重塔も売りに出された。寺院の塀も取り払われ、寺域は鹿が遊ぶ奈良公園となった。
琳派、四条派、狩野派も土佐派も世間から忘れ去られ、その襖絵も屏風も掛け軸も二束三文の扱いを受け、歌麿も北斎も写楽の浮世絵も、輸出用の陶器を包み、丸められ緩衝材として使われていた。それらに美術的な価値があるとは誰も思っていなかったのである。
フェノロサは日本美術の保護に立ち上がった。自らの文化をほとんど評価しない日本人に対し、如何に素晴らしいかを熱誠を傾けて説いたのである。ちなみに彼は日本で生まれた長男にカノーと名付けた。狩野派のカノーである。
日本人はフェノロサから「日本の美は素晴らしい」と力説されて、はじめて「へぇそうなのか」と思ったのである。その一事でロビン・ギルは「多くの日本人は真の審美眼を持っていない」と喝破した。その通りなのである。

審美眼は教養のひとつである。当時の多くの日本人に教養や審美眼が欠けていたということもあろうが、その性向として、マスヒステリーに罹りやすいということもあるかも知れない。もちろんマスヒステリーは日本人に特有なものではない。人間は誰もが煽動者の暗示にひっかかる。
つい近年にも日本人はマスヒステリーに罹っている。アメリカ様の年次改革要望書通り、先方主導の圧力を積極的に受容した扇動政治家に、郵政民営化のワンフレーズで踊らされたのである。悪しき選挙制度も利して、扇動政治家率いる自民党は圧勝した。郵政民営化は、アメリカ様が郵貯や簡保の巨額資金を欲しがったからである。
その後の鳩山という下らない首相の唯一の功は、年次改革要望書という日本改造協議を停止したことであろう。しかしその後政権に返り咲いた自民党は、再び日米経済調和対話という名称で、アメリカ様の主導による協議を再開した。
財界人が望み、政治家や官僚が推し進めているTPPは、日本経済にも社会にも全く寄与せず、害と破壊のみをもたらすであろう。彼等は自動車や電気製品等の輸出が伸びると言うが、何という嘘つきだろう。生産拠点を海外に移転している今日、それらの輸出は関係なく伸びるはずもない。アメリカ様がTPPに日本を誘い込んだ理由は、金融、保険、医療等、あらゆるサービス分野で日本に進出したいためである。農業分野はほんの一分野に過ぎない。特にアメリカ様はJAの解体と民営化を望んでおり、JA預金とJA共済の巨額資金を狙っているのである。またTPPによる食糧自給率の更なる低下と地球温暖化は、食糧安全保障上、日本をより危うくすることだろう。
日本の政財界人のほとんどは市場原理主義者であり、自由貿易論者と思われる。多くの自由貿易論者が主張してきた「自由貿易が経済成長をもたらす」という説は「証明されていない」と近年欧米の経済学者たちが発表している。彼等は言う。経済成長すると貿易量とその総額が増えることはある、と。
市場原理主義者はアダム・スミスを原点とし、自由貿易論者はデヴィッド・リカードの比較優位論を原点にしている。しかしA・スミスは重商主義を批判していた。リカードは愚かしくも単純な仮説ゆえに説得力を持っていたのだろう。
彼等が信奉する比較優位論からすれば、資源のない島国の日本における比較優位は「技術」なのである。それを労働力の安さが比較優位の国に技術移転し、生産拠点も移転する。その技術は移転先の国からすぐキャッチアップされる。技術力が同じなら労働力の安さが比較優位の国に敗れるのは当然である。さらに日本の生産と技術は空洞化するわけである。
タイの工場地帯が水浸しになり、それが少し長引くと、車もカメラもプリンターも日本では数ヶ月待ちの状態になった。ある半導体メーカーは再び日本で生産することにしたが、日本は技術のないフリーターばかりで、すでに熟練工はおらず、わざわざ数十人のタイ人の熟練工をフリーター指導に呼び寄せたのである。これは日本の技術の空洞化の一例に過ぎない。日本の財界人のほとんどは売国奴と言って過言でない。
先端技術の話ばかりではない。伝統技術も同様なのである。かつて日本を「職人を尊ぶ国」と称えたのは、知日派として知られたフランク・ギブニーであった。その職人も後継者不足で滅びそうなのである。
兵器である刀を、工芸品、美術品にまで昇華したのは、刀鍛冶という日本の職人である。彼等は世界に冠たる鍛冶の技術を確立した。当然、和包丁にもその高い技術は受け継がれた。その和包丁は世界一の切れ味を誇り、今や世界中の料理人から求められている。職人がその一本一本を作っているのだが、やはり危機的なのである。
古代、中国から朝鮮半島を経て「団扇」が入ってきたが、日本の職人はその団扇の技術を洗練し、さらに折り畳み式の「扇子」にした。そして扇子の技術も磨いた。しかし現在、日本で売られている扇子のほとんどは中国製である。日本の商売人が同じように作れと中国に持ち込んだのである。とても質が良いとは言えないし、絵柄も色も品位に欠けるが、当然とても安い。日本は「職人を尊ぶ国」なのであろうか?…

あるとき、尾形尊信という方から、教えていただいたことがある。それは創業から二百年はおろか、さらに三百年、四百年と続く老舗企業の数は、世界でも日本が最も多いというのである。その理由を聞く時間がなかったが、何故だろうと考え続けた。…世界で創業二百年超の企業数は約八千社あり、その半数を日本の老舗が占めるという。日本には千年を超える企業も数社あるらしい。
そこに「日本式」あるいは「日本的」物づくり、商い、経営等の神髄があるのではなかろうか。おそらく、生産量の拡大や、徒に売上げ増や成長を目指さなかったからであろう。受け継いだ伝統の技術を磨き、後継者や弟子を育てるという徒弟制度と責任感。オンリーワンを作り、守り続ける家業を代々繋いでいくという日本的家意識や、それを支える日本的雇用形態もあるのかも知れない。また同業者同士でその業界を守ろうという日本的ギルドとも言うべき座・株仲間意識、組合意識や共助意識もあったのではなかろうか。さらに談合という日本的ワークシェアリングで、徒に消耗戦を繰り広げる競争を避けてきたこともあるのではないだろうか。一度じっくり調べてみたいとも思うのである。
日本とは何かということを、雑然と、とりとめも無く考えている。
例えば「ボトルキープ」というサービスは日本にしかないそうである。とすれば、ボトルキープという英語は日本人が造語したのであろうか。
例えば「世間」という日本語を和英辞典で引いてみる。 The world、society、community、people、the public…などとある。太宰治の「世間というのは個人じゃないか。世間が許さないのではない。あなたが許さないのでしょう」という所に、これらの英語を当てはめてみると、どうもしっくりこない。
例えば日本語である、これは本当に凄い言語ではないか、世界で最も難しい言語ではないか。漢字があり、ひらがながあり、カタカナがある。漢字の読み方には音読みと訓読みがある。さらに音読みに漢音と呉音がある。呉音は仏教用語に多い。カタカナは外国語の発音や、擬音などに使用される。漢字には、ひらがなやカタカナの「ルビ(ruby)」が付けられることも多い。ルビは英語のカタカナ表記であるが、本来の英語のルビには日本人が使っている「ふりがな」の意味は無い。英語のルビは5.5ポイントの活字のサイズである。日本の印刷屋が、そのサイズの活字を「ふりがな」に使用したのである。そして日本以外に「ルビ(ふりがな)」を使用する国はない。
日本人は英語が不得手でも、決して言語能力に劣っているわけではない。むしろ、これほど難しい言語を子ども時代から習得していくのだから、凄い能力だと思うのである。また様々な日本語が持つ表現の機微や曖昧さ、その表現の幅や広さ、深さ、美しさは、全く世界に類例のない言語なのではあるまいか。
ここ数年、何度も読み返している本がある。森本哲郎の「日本語 表と裏」である。この本は、曖昧な日本語を考究したものである。…よろしく、やっぱり、虫がいい、どうせ、いい加減、お世話さま、気のせい、まあまあ、春ガキタと春ハキタ、あげくの果て、もったいない、どうも、参った参った…まさに日本語論であり、秀逸な日本論のひとつなのである。これは名著である。森本哲郎は知の巨人ではなかろうか。