白い馬の夏

児童文学の話である。子ども達のために書かれた児童文学に、本当のところ私はあまり興味が無い。関心があるのは、大人達が読むべき児童文学である。つまり子ども達にどう接し、どう教育すべきなのか、大人達は子ども達にどう優しさを示すべきなのか、という児童文学である。
高校生の頃、今江祥智(よしとも)の作品を読んだ。タイトルは忘失した。実はその良さがよく分からなかった。その作品は大人の文体(ニュアンス)で書かれた、大人が読むべき児童文学だったからである。それからすぐ、ウィリアム・サローヤンの「我が名はアラム」(角川文庫)を読んだ。私はいっぺんにサローヤンに魅了された。これも大人達のための児童文学だったが、少年の文体(ニュアンス)で書かれた、全編詩のような作品だったのである。
大学生となり灰谷健次郎の作品に触れた。私はその作品が気に入って、次から次へと彼の作品を読むことになる。彼の作品の多くは教師や大人の目から描かれている。やがて私は「これは駄目だ」と思うようになった。これでは子ども達は、我が儘で傲岸不遜でジコチューな大人になってしまうだろうと思われた。彼の教育では、個性を伸ばすことと我が儘と無知な傲慢を増長させることに、何の区別もないのだ。少しは大人になっていた私は、今江祥智の「ぼんぼん」「優しさごっこ」「冬の光」等をより評価するようになっていた。
そしてやはり、一番評価する大人の読むべき児童文学はサローヤンなのであった。大人は子ども達に、どう人間としての優しさを示すべきなのか。…それは「我が名はアラム」や「人間喜劇」等に溢れていた。

夏のある夜明け前、アラムの部屋の窓を従兄のムーラッドが叩いた。飛び起きて窓の外を眺めると、暁の光が射しはじめる中で、彼は美しい白馬にまたがっていた。「夢じゃないぜ。馬だよ。乗りたければ急いで出てきな」と彼はアルメニア語で言った。
アラムにものごころがついた頃、最初の記憶は馬であった。いちばん初めに憧れたのは馬に乗ることだったのだ。ガローラニヤン家(アラムの家)は滑稽なほど貧しかった。その一族もみなひどく貧乏だった。馬を買うお金は無い。しかし彼等は有名だった。正直をもって聞こえていたのである。みな誇り高く、正直を信条としていた。他人を利用することや、盗みなどもっての外だった。
アラムは素晴らしい馬の姿、どこか懐かしい馬の匂い、荒い呼吸づかいを間近にした。従兄のムーラッドに馬を買う金があるはずもない。では盗んだのかと、従兄の顔と馬を眺めた。彼の顔も馬の姿も、厳粛な静かさとおどけた感じに満ちあふれていた。「それ盗んだの」とアラムは訊ねた。それには応えず「乗りたければ、窓から飛び降りな」と彼は言った。そうか彼は馬を盗んだのだ。
アラムは考えた。乗るために馬を盗むことは、金など他の物品を盗むこととは別ではないか。従兄やアラムのように馬に夢中になっている者にとって、これは盗みではない。だって、馬を売って金に換えるつもりもないのだから。
「服を着るから待って」とアラムは言った。
ムーラッドが手綱を取り、二人はどこまでも進んだ。馬の走るにまかせ、どこまでも走り続けた。やがて従兄はアラムに「降りな」と言った。「俺はひとりで乗りたいんだ」「僕にもひとりで乗らせてくれる?」「馬が乗せてくれるならね。さあ降りなよ」
アラムが馬から降りると、ムーラッドは恐ろしいスピードで走り出した。それは美しい光景だった。乾いた草原を横切り、灌漑用の溝を跳び越え、五分ほど経ってから汗びっしょりで戻って来た。次にアラムが馬に乗った。でも馬は全く動かない。「腹を蹴るんだ」と従兄が言った。馬が後脚で立ち、鼻を鳴らし、猛烈な勢いで葡萄園の方向に走り出した。葡萄の株を七つ越えたところでアラムは落ちた。馬はそのまま走り去った。ムーラッドは馬を追いかけた。「捉まえるんだ! そっちへ回れ!」
彼が馬を捉まえて戻って来た。彼等は無人の荒れ果てた葡萄園の厩に馬を隠した。アラムは家に戻り、腹いっぱいに朝食を取った。その日の午後、家に来客があった。ジョン・バイロというアッシリア人のお百姓だ。彼は悲しそうに嘆いた。「先月盗まれた俺の白い馬がまだ見つからねえ…」
彼が帰るとアラムは従兄の所に走って、ジョン・バイロの報告をした。「僕がちゃんと馬に乗れるまで、返さないって約束しておくれよ」「ふん、一年かかるぜ。お前はガローラニヤン一族の者に盗みをしろというのか」
でも彼等はそれから二週間、毎朝馬を引き出し、草原を走った。アラムも振リ落とされ続けた。ある朝、馬を隠しに行く途中で、ばったりとジョン・バイロに出会った。
「おはよう、ジョン・バイロさん」とムーラッドは言った。「おはよう、俺の友達の息子たち」と挨拶を返したジョン・バイロは、熱心に馬を眺めた。
「お前たちの馬の名前は何というんだね」「わがこころ」と従兄はアルメニア語で言った。「良い名前だ。それに良い馬だ。数週間前に盗まれた俺の馬と同じくらい良い馬だ。口の中を見せてくれないかね」
「いいよ」と従兄は応じた。馬の口の中をのぞいてジョン・バイロが言った。
「歯は争われねえ。もし、俺がお前たちの親を知らなかったら、この馬は俺の馬だと言うところだが、俺はお前たち一家が正直者だということを知っている。きっとこの馬は俺の馬と双子に違いねえ。疑い深い人間なら、自分の心を信じねえで眼を信じることだろうよ。さようなら、子どもたち」
「さようなら、ジョン・バイロさん」
次の日の朝、アラムと従兄はジョン・バイロの葡萄園に馬を引いて行き、彼の厩にそっと返してきた。その午後、ジョン・バイロが馬車で家にやって来て、「盗まれた馬が戻ってきた」とアラムの母に馬を見せた。
「どういうわけか分からねえが、馬が前より丈夫になって、おまけに気立ても良くなった。ありがたいこった」
…これが「我が名はアラム」の一篇「美しい白馬の夏」である。

「我が名はアラム」には次のような一篇もある。彼が小学校三年のクラスで、成績が十五人中の十四番目という生徒だった頃である。町の教育委員会のお歴々や公立学校教育長の前で身体検査が行われた。貧民の子で、過ぎるほどの元気者で、とても風変わりな子だったアラムを、先生は彼等にこう紹介したのである。「ガローラニヤンです。この子は…いわば未来の詩人でしょうか」

さてもう一冊、ユーモアに溢れる「人間喜劇」について触れたい。主人公はホーマー・マコーレイという母子家庭の貧しい少年である。彼は電報局でアルバイトをするのだが、本当は働かせてはいけない年齢だったのである。しかし電報局長は彼の境遇を思い、少年の年齢をごまかして雇うのだ。この作品に登場する大人達は、みなこういう人達なのである。
私はこの作品を二人の女子社員に薦めたことがある。彼女たちは読んだらしい。そのうちの一人が言った。「本当に宝物に出会いました。でも困りました。電車の中で読めないんです。読むと涙が出てくるから…」
比較的遠くから通勤していたもう一人の娘は、いつもその車内で読書をするという。その娘が言った。「読んでいたら涙がポロポロ出てきて、ハンカチで涙を拭きながら読み続けていると、周りの人たちが不思議そうに覗き込むんです。でも次のページでは思わず笑っちゃって…またジロジロ見られて…車内で読むのには、ちょっと困ります」
アメリカではサローヤンは「キュート」という程度の評価らしい。しかし、私がアメリカ人やカナダ人の英語教師に「ヘミングウェイとサローヤンが好きだ」と言うと、皆疑わしそうに「本当?」と訊く。センテンスが短く中高生程度の単語なので、私でも辛うじて原書で読める数少ない作品なのだ。しかし彼等に言わせると「とてもお前では、あのニュアンスを理解できるとは思えない」ということらしい。これは芭蕉の俳句が好きだという外国人を、私が「本当? あのニュアンスが分かるの?」と疑うのに似ている。

さて、ロバート・N・ペックの「豚の死なない日」も、大人が読むべき児童文学である。私は次のくだりが特に好きだ。十三歳でペック家の新しい家長となった少年にタナー夫妻が声をかける。「ロバート、わしの名前はベンジャミンだ。親しい者はみなそう呼ぶ。友達どうしだ。これからは名前で呼びあおうじゃないか」「あたしはベス。これからはそう呼んでね」

ウィリアム・サローヤン「我が名はアラム」(三浦朱門訳 角川文庫)
ウィリアム・サロイヤン「人間喜劇」(小島信夫訳 晶文社)
〃    「わが名はアラム」(清水俊二訳 晶文社)