続々・強い馬

ダービーのような特別な大レースでは、競馬場全体が異常な雰囲気に包まれる。どんなベテラン騎手でもダービーの雰囲気は特別なものだと言う。その日は調教師も厩務員も馬主も特別な雰囲気を作り出す。それらが敏感で繊細な馬たちに影響しないわけはない。
どの馬もこれから始まるレースが特別なものであることを感じ、闘志や不安で緊張し、激しく発汗したりイレ込んだりする。烈しすぎる闘志もイレ込みも、彼等のエネルギーを消耗していく。レース直前、ファンファーレが鳴り響き、スタート台からゲートインのための合図の赤旗が振られる。スタンドは地の底からとよもし、馬と騎手の緊張は極限に達する。
そんな中でもシンボリルドルフという馬は、いつも超然と端然と落ち着き払っていた。彼の落ち着きは騎手・岡部幸雄をも落ち着かせた。ルドルフは適度に緊張し、適度に闘志を見せ、適度に周囲を観察し、涼やかな目でスタンドを見やっているようだった。
同世代の馬たちの中で、ルドルフ一頭が大人で、あとの馬たちは未だ甲子園球児たちのようであった。ルドルフ唯一頭が「平常心」だったのである。ファンファーレが鳴っても、15万人に埋め尽くされたスタンドが響動しても、それらはルドルフにとって大したことではないのだ。ルドルフの落ち着き払った超然とした態度は「平常心」というしか表現のしようがない。
ルドルフは子馬の頃から他の子馬とじゃれたりすることもなく、超然としていたらしい。他馬には相当きつい性格を示し、彼の周りに寄せ付けなかったという。しかし人間に対しては、よくなつき従順だったと言われている。
調教で教えたことは直ぐ覚えた。一度体験したことには二度と怯えたりすることはなかった。騎手の合図もすぐ全て覚えた。ゲートが開いたら自分はどのポジションを確保しなければいけないかも覚えた。それは中団より前、他馬に包まれず、前を塞がれぬ位置である。彼より前を行く馬たちをいつでも抜き去ることができ、後ろから来るものが決して届かぬ位置である。レース中はどこまで抑え、どこからスパートし、どこまで我慢し、どこがゴールかも良く知っていた。そして他馬をどれだけ離してゴールインすれば安全かも知っていた。
シンザンという馬は、2400メートル走ろうが、3000メートル走ろうが、鼻差でも頭差でも他馬より前に出ていればよいと考えていたと思われる。
シンボリルドルフはそのような僅差を危ういと思っていたのだろう。彼が2着馬につける着差は1~2馬身あるいは3馬身程度なのである。私はその安全圏の着差を「ルドルフの1馬身半」と名付けていた。「1馬身半」がルドルフ流のねじ伏せ方なのである。
ナリタブライアンは違う。圧倒的な力の差を見せつけ、完膚無きまで相手を叩き潰すのである。ナリタブライアンは爆発するかのような、我を忘れた「憤怒の着差」を見せつけるのだ。
ディープインパクトはシンボリルドルフとナリタブライアンの中間であろうか。彼はルドルフほどに平常心を保てず、発馬も下手で、何度か騎手と折り合いを欠き引っ掛かりもした。着差は自然についたもので彼の計算ではない。シンザンとルドルフが他馬につける着差は、彼等の性格からくる計算の着差なのである。
JRAの「20世紀の名馬」で、1位ナリタブライアンはともかく、シンボリルドルフが6位、シンザンが7位というのは納得がいかない。ルドルフもシンザンも知らぬ若者たちは投票すべきではない。私は2006年の暮れにあたり、1位ナリタブライアン、2位ディープインパクト、3位シンボリルドルフ、4位シンザン、5位マルゼンスキー、6位スペシャルウィーク、7位エルコンドルパサー、8位トウカイテイオー、9位テンポイント、10位オグリキャップとしておきたい。しかし1位から5位までは強さの定義次第で入れ替わるだろう。ちなみに山野浩一は「底力とは、限界に達した後に絞り出される力を言う」と定義し、「底力血統」というものがあるとした。私はこの定義に同意する。そして、少なくともシンザン、ナリタブライアン等は「底力血統」なのである。

(この一文は2006年12月31日に書かれたものです。)